昭和生まれの少女
私は、昭和33年1月9日木曜日に生まれた。
東京タワーが完成して、長嶋茂雄さんが巨人軍デビューした年だ。
お米は10㌔870円でインスタントラーメンは35円、缶ビールが75円だった。聖徳太子さんの一万円札ができて、フラフープが大流行した。封書の切手代10円、葉書5円、バス代15円、銭湯16円、散髪150円の時代だからね。
平均的なお給料は16,608円。
ごちそうはすき焼きと桶に入った握り寿司。メロンとカップケーキは風邪をひいたときだけ買ってもらえた。小学生の私は本物の鼻を垂らして走り回っていた。ただ、母 三致子が駄菓子屋さんや 行ったり来たり泊まったりの下町情緒あふれるご近所付き合いをことごとく嫌ったので、十円握って駄菓子屋に走るなんてことは…なかった。まぁ、前にも書いたが母は呉服屋の「おいとはん」だったのでお高くとまっていたのだろうと察する。33年生まれの私は貧乏でもお金持ちでもなく 青竹売りのおっちゃんについて回り、鳥を売って歩いてるおっちゃんの車を押し、売り物の鳥で遊び、ロバのパン屋さんの歌を大声で歌いながらパン屋さんを探し回り、紙芝居のおっちゃんに練乳の挟まった甘い甘いふわふわせんべいを多めにもらうために必死になってた。下町の幸せな子供時代だ。
その少女はそのまま大きくなり、そのまま66歳になった。私は本当に成長がない。私の生まれた昭和33年の寿命で言えば男性は64.98歳女性は69.61歳となっている。だいたいの人は70歳までに死んだんだなぁ。今ならまだまだ働いてるよ、みなさんもりもり!
まだ貧乏な日本に生まれ、バブルを経験し、バブル崩壊も他人事のように体感し平和な学生時代にやんちゃなこともして、会社勤めもやってみたし、結婚も出産も子育ても離婚も全部一回はやってみた。いろんなことを経験したので大人になったような気がしてるけどそれは違う。何も変わってない。私はなんも変わってない。恥ずかしいくらいに。
ここから先どうやって老けていこうかって毎日考えて毎日「ま、いいか」って先延ばしにしてる。
母と私。二人とも昭和生まれの少女‼!力強く生きていくのさ‼!