カタチ
彼女はとってもよく喋った。私に相槌を打たさないほどのスピードで話し続けた。
正義とは何か、自分はいつも立ち向かっている。間違ってなどいない。彼女の正しさを聞いてほしいようだった。
私は頷くだけ、1時間が経っていた。それでもずっとずっと彼女の正義についての話は終わることはなかった。…出会いはこんな感じ。精神科の面談室で彼女は時が止まったように話し続けた。 実は、彼女はご主人に殴られたと何度も警察に駆け込み、よくよくご主人に話を聞いてみると殴っていたのは彼女だった・・というオチで、精神科に入院、服薬調整や認知症状についての検査が行われた。さらに、不思議なことは子供たちの連絡先が分からない、もしわかっても子供たちに知らせんでほしい‥というご主人からの申し出。「謎」に包まれすぎていて‥じゃあさ、本当のことにたどり着きたくなるやん。認知症の人はね、悪意ある周りの人に悪人にされることがある。覚えてないからね、そうかなぁって思っちゃう。そしてそうかなぁって思ったことを忘れちゃう。そうやって忘れることを知っている悪意の人は、悪いのは私じゃないこの人だと理由をつけて言ってみたら、それが通っちゃうことを知っちゃって、そっからはもう転がるように人のせいだ。今回主役の彼女も同じ。私はさっき彼女がご主人を殴っていたというオチだと言った。実はこれは間違っていた。連絡してはいけないという禁断の扉、実子からの電話は突然かかってきた。私の中では「ストン」と腑に落ちた。本当のことにたどり着いた。
彼女と出会いここに来てくれて、もうすぐ一年が経つ。すり足だった歩き方はちゃんと足の上がる力強い歩行になり、洗い物もできる、洗濯物も畳める、ほうきのお掃除も、掃除機もかけられる。アメリのお水も変えてくれて、ランチョンマットも敷いてくれる。でも、ご主人の名も子供たちの名も季節も生年月日も思い出せない。めいの家が何なのかもわかってはいない。でも、楽しそうに暮らしている。不安そうな時もあるけど、それでももう誰も悪意の目を向けたりはしないことをわかってるのかな。
認知症の人が たとえば万引きしても無罪になる事がある‥心神喪失の疑いがあったりで。だから何してもいいってことじゃなくて だからそばにいる人は正しい目で広くその人を見ないといけないよね。叱ってばっかじゃいけないし、なんで?って思わなきゃいけないし、信じなきゃいけないし、疑わなきゃいけない。認知症はカタチのないものだし、現れ方も人それぞれ個性がある。私たちがカタチにはめちゃ絶対にいけない。全開満開の自由人でいてもらうことが私たちの使命だから、ね。