我慢しないこと、遠慮しないこと、諦めること、貫くこと、尊重すること。そして諦めないこと。

看取ること…を考えている。ある日を境になんとなく食べる量が減って、なんとなく横になってる時間が増えて、なんとなく話すことや笑うことが減って。でもどこも悪くはなくて血圧や脈拍、体温もいつも通り。でも、でも、でも。        このどこかのタイミングで私たちは医療班と相談し家族に話す。「老衰」というのは病気ではないから血液検査やらの結果で話すことはない。ただ、食べなくなってじっと寝てる時間が増えて、何を積極的にするかって言うと、家族次第で。病院に行って検査して調べて高カロリーの点滴とか、ね。出来る事してって思うのか、このまま自然にって思うのか。我慢しないで私たちに遠慮しないで決めてほしい。でも食べない人に無理やり怒ったりなだめたりも、やってみて一旦諦めてあげて欲しい。もしかしたら「もう死ぬんだから食べないのよ。」ってことかもしれんでしょ。そこ貫かせてあげて欲しいなぁ。なかなか諦めきれるもんじゃないと思うのだけど相手を最上級尊重し行く末を一緒に過ごせたらいいのにね。そして、辛いや痛いや痒いや悲しいや‥そういうの全部取っ払って看取ることを諦めないでいたい。

「延命はしません」というフレーズは、今やほとんどの家族さんの合言葉になっている。自然のままで。口から食べなくなったら、そういうことですよね。って皆さんおっしゃる。でも、延命がどこからかは様々なんだ。食べなくなったけど、点滴はしてほしい。栄養のある点滴をしてほしい。息苦しそうなら酸素を入れてほしい。鼻からでも胃からでも栄養を取らせてほしい。だって、もう一度元気になって歩いて自分でご飯食べられるかもしれないから、って思ってしまう。気持ちはね、痛いほど突き刺さるように解る。みんな平等にいつか死ぬけど、今じゃない。いつも今じゃない。だって悲しいから。       なんて言っときながら、母が死ぬとなったら、私、過度な延命する娘かもだよね。笑

前回食べなくなった時、元気になったから!とか何度も食べないで寝てばかりの生活から蘇ったから!とか言われる方もおられる。でも、その度にちょっとづつ老衰に近づいてる。「老衰」で死ねることは幸せだ。食べなくてもお腹すいてないみたいだし、辛かったり痛かったりしてそうじゃない。ただ、穏やかに眠っていて ちょっと起きてちょっと笑いちょっと食べちょっと動いてみてまた安心して眠る。そんな時間の中に私たちの聞き馴染んだ声がありいつもながらの生活の音がある。「いつもといっしょ」な時間の中で近く訪れるだろう看取りの時を静かに待つ。

今日は 看取りの時のこと…考えている。

前の記事

魔の自転車