延命
ご存じのように、私は介護士で 医療人ではないので「延命措置」を語るのはおかしい。
そう、おかしい。
「謎」の多い生活施設の「延命」を話したい。介護士として、ね。
まず、入居の時にご家族に「延命」の話をする。もしもの時、が想像できないくらい元気な人でもする。ご本人の意思とご家族の希望が一致していない場合もある。今すぐ決めてほしいとは言わないけど考えておいてね‥くらいの感じ。死ぬ時はどこで死にたいって言ってたか、とか人工呼吸器つけても生きたいって言ってたか とか知ってること教えてもらう。
で、時が流れそろそろちゃんと話さないといけないと思ってもなかなか決められない家族の方。が多い。っていうか「延命」の定義がよくわからん。延命とは、命を延ばすために治療する事。どこからが延命治療なんか家族も私たちも分かっていない。そもそも食べられなくなったらその時だと言うなら、それは自分で食べられなくなったら?誰かに食べさせてもらったら食べられる、のも大丈夫よね。 口から食べられなくなったら胃ろう、腸ろう注入は延命だ?人工呼吸器は延命だとわかるけど、酸素も?点滴も?となるとみんなちょっとは何とかしてあげて欲しいと思っちゃうよ。延命ですが、と言われてもなんかもう見てらんなくて何とかしてって、ね。
もう10年くらい前、102歳の芳子さんが熱を出した。風邪の症状もないし、元気だけど熱が下がらない。お薬で下げるけどお薬止めたらまた上がる。職員はなんで?ってなってどうにか熱の原因を探ろうとした。とにかく検査したいって芳子さんの娘さんに言った。娘さんは「原因を知ってどうするの?もし、大きな病気だったら?知ったら治したくなるでしょ。調べなくていい。このまま本人がしんどくないようにしてやってくれたらいいから、ね。」と言った‥って話を私はどっかで書いてるはず。そうなのよ。何でもかんでも原因見つけて治療するばかりじゃないんよ、高齢者の医療って。
延命の意味も解釈も人それぞれ違う。違っていい。本人の楽ちんを優先して、いつでも気持ち変わったら話し合い続けて家族と本人が納得できるようにする。それが終末期介護だと思うから。
これから爺さんになる人、これから婆さんになる人へ
自分の最期に備えて、早めに意思を伝えておいたほうが良いよ。信頼できる家族や友人に意思表明しておくと自分も周りの人たちも楽になるから。わからないのが一番困る。親のことって知らないものだ。一番近くにいるのに伝わってないこといっぱいある。言わなくてもわかってくれてるなんて思わないほうがいい。
10月末、94歳のお誕生日を迎えた婆様が24時を過ぎ、長い無呼吸が現れ、血中酸素濃度が下がった。どんどん下がっていった。夜中の1時半婆様の元へ。静かに旅立っていった。
娘さんがわんわん泣いた。泣いて泣いて、泣いて泣いて。
泣いてる娘さんの前でみんなであったかいタオルで体を拭いて娘さんに選んでもらった服を着た。それぞれが出会った日のことや、話したことを思い出していた。きれいにお化粧して。「私可愛い事なんかない。出歯(でば)やもん」と大きな声で笑ったのは半月前かな。
9月20日、婆様は敬老会のどら焼きを最後に、嚙んで食べるのを止めた。高カロリージュースを飲み、水だけ飲みたい時に飲んで生きた。ある日、すっきり起きて来て「できることやったら鰻と焼き芋食べたいわぁ。」と言い、大急ぎで用意した鰻をパクッと食べて「できることやったらぜんざい食べたいわぁ」と皆を笑わせた。そして、また次の日から食べなくなった。最後の最後の劇的な一日だった。
わんわん泣いてくれる娘さんがいて・・よかったね、婆様。納得できる終末なんかないのかもしれん。いつだって、いくつだって、これでいいなんてもんじゃない。きっとそう。何をしたって、どう頑張ったって、どんなに悩みぬいたって。辛くて、後悔するし悲しいし、ね。
だからだよー、ちゃんと意思を伝えておこう。私が納得してるんだとわかると家族は腹をくくれる。延命しないでね、って言ってたなぁって、本人の思うようにしてやろうって、悩まずに済む。後悔がほんのちょっとちいさくなる。自分のために大切な家族のために。自分の行く先は自分で決めて伝えおく。ね。
ちなみに私は、使えるものは全部使ってもらって、宇宙に散骨。そう伝えてある。