頑張ってる人へ「ガンバレ」

人の寿命はそれぞれで、毎年ちゃんと人間ドッグで検査しているのに病気で命を縮めなくなる人もいる。たばこ吸って大酒飲んで、小さな病気いっぱいしても病院にも行かず100歳を越えて生きる人もいる。寿命ってなんだろね。

私は、自分があとどれくらい元気でいられるか知りたいから「わたしは癌で死にたい」と言う本に共感した。この一年、心臓から始まりいろんな病気を発症して治療して死ぬ病ではないからこんなこと言ってるのかもしれん。

めいの家には最期をここで、と決めて治療を積極的に受けない方が一定数いる。私たちはそばにいる人として 出来得ることをする。するけど、他の方の日常も守りつつ「いつも通り」を崩さずする。

飲み込むのがしんどい時、体のあちこちが痛い時、トイレに行きたいけど立てない時、着替えも息が上がる時、一日中今までは普通にできていたことがものすごい頑張らんとできんようになる。息をしているだけで頑張っている最期の時間はいつまでなんてない。心臓が止まるまで‥。それがいつでも、私たちの覚悟はできてる。がんばるのは私達で最期の人じゃない。頭の中で唱える…いつ逝ってもいいよ、大丈夫だからね。ようがんばったねぇ。ようがんばりはった!ってね。

人生の最期を生きている人に、「ガンバレ」はない。一番ない。生きるものに区別なく差別なく大金持ちも有名人も明日食べるものに困っている人も家族に愛されている人も、最愛の方を失くした方にも私にも貴方にも 平等に「死」は訪れるわけで 良い人生だった人も、そうじゃない人も もう頑張らんでいいのが最期の時だと思うのだけど。

どんな病に直面しても、治療のしようがなくても、ただ辛そうなその人を見ているしかなくても、一緒に過ごした時間を想いおこしながら手を握るだけ。懐かしい話や明日の話をして笑っているだけ。

私たちは無理して受けなくていい最期の看取りを断ったことはない。この家で生きて、この家で死ぬ‥が普通のことだからだ。がんばらんでいい、いいでって言う最後の共同作業だ。

そして、「またね!」と別れる。私もそのうち逝くからさ、っていう未来あるお別れ。

昨日できたことが今日はもうできずに、今日で来たことが明日はもう‥ってため息をつくと 道(未知)の先が閉じていくから、「いまできること」を探そう。今日はこんなことができた!やるじゃん!すごいじゃん!って そしてね、食べなくなって飲まなくなって話さなくなって起き上がらなくなっても、ずっとね 明日の話をしよう。いつが最後になってもいいように今日を楽しもうね。

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