雅矢の父が亡くなった。
時々話は聞いていた。長い闘病生活だったように思う。
時に、母が疲れ果て。時に彼が弱音を吐いて。
でも、自分の思う介護の実践を 父にはそうしたいと思うことを貫いたように見える。
男の子だし、多くを語る性質ではないし、弱音を冗談のように笑い飛ばす彼はちゃんと泣けるんだろうか?

私は26歳だった。父を亡くした年だ。父が癌だと単身赴任先の主治医から電話があり母は取り乱した。早々に単身赴任先の鹿児島を後にして父は母のもとに帰ってきた。56歳梅雨のこと。化学しか頭にない父は仕事が大好きで転々と求められるところに出向いた。家族に目もくれず仕事好きの父が、母のもとに帰ってきた。母は47歳。喜んだ。もうどこにも行かないんだと嬉しそうにひらひらのレースのワンピースを着て父の病室に泊まり込んだ。実に楽しそうに、バカンスみたいに。

その時のことを思いだしていた。お葬儀に行かせてもらおうか、と考えている時に由香(次女)が「行かんとこ。私たちに気を使って泣かれへんやん。」って言って。ほんとにそうやなって思った。私も、職場の人がいっぱい来てくれて「ありがとうございます!」なんて元気な大きい声出しちゃって偽物の元気面でいたように思うわ。だからってワーワー泣いたかっていうとそうでもないと記憶してる。ただ、四十九日間般若心経を毎日三回唱えて覚えた。今も覚えている。般若心経聴くと父とあの頃を匂いまで思い出してびっくりする。

これ、余談だけど父のおかげで私、癌の末期の人の匂いがわかる。私には懐かしすぎる匂いだ。

でね、彼の父のお葬儀が一週間後だと知ったから10年、いやそれ以上一緒に働いてきたメンツと一緒に参列することにした。賑やかに参列することに決めた。泣けるのよ、いつでも思い出したら泣けるの!40年経った今でも泣くときゃ泣くもん。

闘病が長くて、面倒掛けたおやじならなおさら、思い出も多いし、ほっとするとこもあったりね。だってもう溜息つかんでいいし、面倒だなって思わんでいい、大変だと思ってる自分を責めなくていいし、どうしてあげたらいいかって考えなくていい。ぽっかり寂しいけどほっともする。いろいろさ、複雑な感情‥に いっぱい悲しいしね。

君は全力でできること全部したと思うよ。幸せな父です。

合掌。

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