ネズ仔死す (初!由香著)

私が小学生のころ。世間を斜に見ていると大人たちが私を評していた頃である。

私はパセリというジャンガリアンハムスターと同居していた。私の6畳の部屋でパセリと共同生活していたのである。彼か彼女かは性別不明の私の同居ハムのパセリは、なんせ元気でよく食べ、よく動き、よく太った。そして長生きだった。小学低学年から一緒に居たパセリは小学五年生の秋の夕刻に死んだ。珍しく鳴き声がしたと思ってみたら死んでいたのである。

小学五年生の私は机の下にもぐって大泣きし、その後に一人でパセリを土葬した。寂しかったし悲しかった。もうパセリが夜中に走り回る音が聞こえないのである。寂しさが限界突破であった。

もう四半世紀近く前の話である。

先ほど、私の机の後ろを掃除機ですっていたところ、大きな毛玉を発見した。毛玉にしては大きく五百円玉より小さいくらいの大きさだ。嫌な予感がした。そっと毛玉の上に乗っている配線をどけた。ネズミが死んでいた。

左側臥位で目はうっすら開いており、パセリの半分ほどの大きさのネズミである。生きてヒマワリの種など食べていたら可愛かっただろう面影がある。

見つけたもののどうしようもない。干からびて死んでいる。

可哀想だと優しい人なら思うのだろうか。私が思ったのは広い世界でわざわざ死ぬのここじゃなくてよくない?である。あと見つからない所で死んで土に還ってくれよとおもった。今も喉が詰まるような嫌な気持ちである。

そしてパセリを思い出した。あちらも尻尾は短いが大枠ネズミである。だが愛すべきネズミであった。死を悼まれ、柔らかい布にくるんで大切に埋葬された。溢れるほどのひまわりの種を食べた一生を過ごした。だが机の後ろで死んでいた名もなきネズミはどうだろうか。食べるものを探し、寒さに震え、人の気配に怯えながらもあり着いた食べ物は商品名「最後の晩餐」である。効果は抜群であった。効き目がなければ返金すると宣うのも納得の代物である。まさにネズ仔の最後の晩餐になった。

死んで天国に行った動物は生きている人が思い出すと周りに花が咲くらしい。今頃パセリは花に埋もれていることだろう。できたらひまわりの花が降っていてくれたらと願う。そして、名もなきネズミも安らかに成仏してほしい。

とりあえず「最後の晩餐」を大人買いしてこようと思う。

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