八話 「きょうこちゃん!!!」でいこう!
会った途端に「きょうこちゃん!!あんたどうしてたん。おばちゃん最近見んけど元気なんか?」と手を掴まれ話始められた。今日、入居されたみさおさん。わたしはどうも親戚のお米屋さんに嫁いできたきょうこちゃんによく似ているらしく・・いやいやもう私はその時からきょうこちゃんそのもので・・。きょうこちゃんがいるから、ってことで入居はスムーズで帰りたいと言われることもなくめいの家での生活は始まった。
おうちでは、ガスをつけっぱなしにすることが増え、怖いのでじっとしていてと言ってしまう。けど、自由に生活させてあげたいんですと娘さんもお嫁さんもジレンマを抱えていた。家事や趣味の書道など何でも自由にさせてあげてほしいと入居を決められた。ご家族は、みさおさんが一度も人の悪口を言ってるのを聞いたことがない、悪口や愚痴を言ってるのを聞くのも嫌い、男の人を立てて、誰の話にも合わせることができる才能がある、とおっしゃった。その通りの方でニコニコニコニコみんなのお母さんみたいに思いやりの深い人だった。あっちゃんと富士山に行こうと誓い合った仲良しの一人がこの人 みさおさんだ。大きなおうちの一人娘で婿養子をとって実家を支えながら、書道、水墨画、茶道、華道、編み物、料理、旅行、歌など多彩な趣味を楽しみ、地元愛に溢れていてご近所さんが困っているとどんなことしてでも助けちゃう正義の味方だ。 あっちゃんもみさおさんも妻の、母の、女の人の、人間の、鏡のような人たちです。 この二人が熱望するなら富士山にだってどうにかして連れて行ってあげたいとみんな本気で思っていた。あっちゃん同様、みさおさんの身体も大きな病に侵されていた。乳癌です。みさおさんもまた「大丈夫よ。気持ち悪いやろ。触ったらあかんで。悪いもんがうつったら申し訳ないからな」とおっぱいを隠した。「きょうこちゃん悪いとこあったらここに投げて頂戴。私が持ってたげよな。あんたは元気でおらなあかんよ」とお風呂の度に手を握られた。どう生きたらこんないい人になるんやろ・・わたしゃ、日々文句ばっか言って、グチグチ悪口ばっか言って、それでも気が済まんで職員や家族に当たり散らしてる。最悪。みさおさんを見ていると私が優しくなる。これじゃいかん!とか思うんじゃない。この穏やかな空気に飲み込まれていく。体の芯に染み渡るんだなぁ。
みさおさんのおっぱいの癌は肺や骨に転移した。腰が痛くなり座れなくなったけど夏祭りの太鼓に貼る「祭」と言う字を座って書いてくれた。痛みに耐えて・・でも笑って一生懸命書いてくれた。遺作です。皆覚悟し、みさおさんを看取る準備をした。みさおさんの部屋には一冊のノートが置いてある。「LOVE NOTE」みさおさんと私たちと家族を繋ぐ。今日はどんな話をしたとか、アイス食べたよとか、お腹のお孫が産れるよとか、お母ちゃん来たよ、と娘さんが書き、みさおさん朝だよと職員が書き・・この部屋を訪れた方は皆、何かを記していくそんなノートです。ノートは8月5日に始まり8月28日に終わっている。皆に看取られみさおさんらしい穏やかな旅立ちでした。ノートの最後には職員全員がみさおさん宛てに寄せ書きをしてお通夜にお棺に乗せたら、ご家族が「このノートは家族の宝物です。お母さんの部屋に、お母さんと一緒に帰らせてください」と言ってくださって。そのノートのコピーを届けてくださった。「持っていてやってください」と。それがこれです。
ノートの最後には「人の逝き様は、人の生き様です。短い付き合いでしたがあなたの生き方がわかるような気がします。」「もう わたしはええから なんて言わないで肩の力抜いて!」「出会えて感謝」「気遣いすぎるほど気遣うあなたらしい」など何ページにもわたって職員が綴っています。たった一年半。されど優しい一年半をいただきました。会いたいなぁ。あの穏やかな空気にもう一回飲み込まれたいなぁ。
富士山、必ずこのノートと一緒に連れて行くからね。「足手まといになるから、私より先に皆さんを連れて行ったげて。それでいいから、わたしはいいから」なんて絶対言うなよ!一緒に手つないで登りたかっんだよぉ~!!!
またね、みさおさん。
「きょうこちゃん。まだまだ逝ったらあかんよ。順番抜かして逝ってもだぁれも褒めてくれませんで。生き死にに順番はないけどあんたはまだせなあかんことあるよぉに思いまっせ。違うか?」・・その通り!精進しますっ!!