十一話 元気でいるか?お金はあるか?今度いつ帰る?完

ちょっとした夏風邪を引いた陽子ちゃんは、どんどんどんどん自分の世界に入っていった。人を寄せ付けないし、出会った頃の他人の陽子ちゃんだ。笑わん、泣かん、怒らん、自分の風邪以外には何の興味もない陽子ちゃんに戻った。闇は深いぞ!いつでもすぐに知らん人になるんやと実感した。それでも、この薬飲む?何?今?水?お湯?お茶?サイダーは?治る?いつ?・・矢継ぎ早な質問は相変わらずで。熱もないし風邪薬飲んでるし、風邪が良くなったらきっと・・時間はあるから大丈夫と簡単に考えていた。
ある日の夜、陽子ちゃんは風邪薬をもって私のところに来た。これ飲む?今飲む?一回で飲む?水は?全部飲む?もっと飲む?といつものようにいっぱい聞かれた。一つ一つ答えて手をつなぎベッドに。今日よく寝たら明日はもっと楽になってるよ。とお布団をかけた。枕の隣の小さな目覚まし時計は7時半を指していた。もう寝ると言うので部屋の電気を消して「また明日ね」と言うと「また明日」と返してくれた。その日の夜中 7月23日午前3時36分。私の携帯電話が鳴った。「陽子ちゃんが窓から落ちたみたいで」電話の向こうの声も震えていた。すぐに起き上がり二人の娘を起こした・・ところまでは動けたんだけどその後着替えることが出来ない。「なんでなんでなんで?」「落ちたって何?」「窓からって何?」ってグルグル。娘に「だいじょうぶ?」って言われて正気に返る。急がなきゃ!!!
バイクに乗り意識を集中。でも今も思い出せない。どうやって来たか?頭が真っ白ってこういう感じなんだろうなぁ。
私は、救急車と一緒に着いた。急いで心臓マッサージ中の陽子ちゃんを救急車に乗せ、一緒に来た警察の人の話を聞く。自殺ですかね?と聞かれ、それだけは絶対にないと絶対違うと思ったけど言葉に詰まった。「また明日ね」って言ったんだもん。
夜が明けてくる陽子ちゃんの部屋で何を思って窓から出たのかずっと考えていた。窓の手前に片方だけスリッパが転がっていて、あわてんぼうの陽子ちゃんらしいなぁと思った。陽子ちゃんはトイレに行きたくて起きて、風邪のせいでフワフワしていて窓とドアが分からなくなったんじゃないか説で落ち着いた。精神的な病気もあり弱っていたし気持ち落ちていたから。でも、本当のところは陽子ちゃんにしかわからない。ものすごく教えてほしいけど、この答えだけは陽子ちゃんに会わなきゃわからない。もしかしたらだけど、今頃陽子ちゃん自身も えーーーーーー!なんで?ってなってるかもしれない。そんなはずじゃなかったのかもって思う私も着地できずにいる。
ご家族に誘っていただいて納骨までご一緒させていただいた。夏には毎年陽子ちゃんのいるお寺に行く。まだまだ昔の話にはなってない。これを書いていても心臓が痛い。その日からずっと家の電気を全部消せなかったし、夜中音のないのが怖かった。夜帰るときは陽子ちゃんの部屋の窓にまた明日と言う度息苦しかった。陽子ちゃんの落ちた場所になかなか行けずに目線をそらして歩いたりした。さだまさしさんがテレビに出ていたらチャンネルを変えて、部屋の窓から外を眺めるのも怖くなった。なにもできることがないから、ただ辛くて怖くて悲しくて痛いのをズルズル引きずって過ごした。生れて初めて心療内科にも受診した。心臓がドキドキしてしんどくて助けてほしかった。忘れたかった。

陽子ちゃんが亡くなって、初めて陽子ちゃんのことを文章にしている。
最後まで書けないんじゃないかって思いながら書いている。ふぅ、ドキドキしながら。
読んだ人みんな引いちゃうんじゃないかとも思ってる。
でも、
でもね、めいの家の住人を書くときに陽子ちゃんを無しにはできない。
大事な人。だからね。だけどね、ありがとう、陽子ちゃん・・とかじゃない。ありがとうなんて思ってない。「なんで窓から出たのよ!」て怒鳴りたいくらいの気持ちはあっても感謝とかじゃない。だけどね。大事なんだ。ただ、大事な人なんだ。
芳子さんが「人間そんなに簡単に死なねぇんだよ」って言ってたけど・・そうでもない。簡単に死ぬ人もいる。昨日まで一緒に手を繋いで歩いていた人がいなくなる恐怖を知った。覚悟できない死を受け入れられない自分の弱さと,この日から何年も闘うことになった。何もかも辞めたくなったし、逃げて消えたくなった・・心臓止まれって苦しすぎて思った。
こういう経験を介護士はみんなしている。あの時こうしておけば・・あの時・・あの時・・と後悔が渦まいている。
陽子ちゃんはこれから先も私の中からいなくなることは絶対にない。あの日の明け方の匂いまで私は覚えている。しっかり立っているように見せかけて私は宙に浮いていた。泣くことも忘れていた。あの夏の7月23日からもう10年以上たつというのに私は夜真っ暗にできない。実はテレビもつけて寝る。夜中に電話が鳴ると心臓がちぎれそうになる。未だに・・。でもこのままでいいと思う。怖い、悲しい記憶だけではない陽子ちゃんを勝手に私は背負っていて、もうこんな思いは誰にもさせないと誓っている。恐怖を持ち続ける人はきっと危険を予測できると思ってもいる。プラスに考えられるようになったことも、この仕事を続けていることも、介護事故に一線を越えてムキになる自分も、めいにいる人は全員 私が看取りたい覚悟も、全部陽子ちゃんがいたからで、あの日から始まっている。

「私のいないところで死なないでね。私に最後を看取らせてね。」「今日は一日いるからね、好きな時に逝っていいよ。」「また明日ね、私を待っていてよ。」これが本音。自分の母よりも長い時間を毎日一緒に過ごしている皆さんの最後は私、見届けたい。そして「またね」ってご家族と一緒に体拭いて、着替えて、お化粧したい。皆でその方の話をいっぱいしてめいの家から送り出したい。

 

十年以上、胸の中で生き続けた「陽子」という人を、書きました。やっと書けました。私の気持ちを書きました。やっと書けました。
7月、また京都のお寺に会いに行きます。また、命日がやってきます。

 

陽子ちゃんが亡くなってから、部屋を整理していたらいっぱいメモが見つかりました。「ぴいちゃんにお風呂に入れてもらった。うれしかった。」「おおきいヒサちゃん(私)にめがねもらいました。うれしかった。泣くほどうれしかった。」「○○さんは明日来る。たのしみにしています」沢山のメモ用紙に沢山の感謝が綴られていました。このメモを読んで、初めていっぱい泣きました。陽子ちゃんは自分で命を絶ったりしないと思いました。私は一生忘れたくない。一生刻んで生きます。 

      

またね。陽子。かならず、また会いましょう。