一話 明治生まれの怪物 芳子さん

明治45年生まれ、95歳でめいの家にやって来た。リビングのテーブルでタバコに火をつけるところから出会いが始まった。「何?何がダメなの?」笑っている。「あんた、鼻くそついてるよ。取ってやろうか」とほくろを笑いものにし、トイレにおむつを入れたカバンを持ってはいる利用者さんに「何?それ何?あんた、一人でなんか食べようと思ってるんでしょ。おにぎりでしょ。見せなさいよ。卑しいわねぇ」とカバンをひったくって泣かす。「泣いたら私が悪いみたいじゃない。いやらしいわねぇ、女は」と毒発言。「あんたその短い脚でよく歩いてきたわねぇ、えらいえらい!」「不細工だねぇ、笑ってごらん。まだましよ。」見た目について、行動についてずっとリビングで監視、人間ウォッチングが好きでたまらないらしい。職員は芳子さんが喋るたびに話し合い、怒り、なだめ、どうしてそんなことすんのかと、自分がされたらいやでしょうと諭すが全く聞いていない。ある利用者が言い返した。「あんたかてブスやんか!」と。
言いたい事言う方は自分の痛みに弱かった。黙ってしまった。よし!!!言い返したほうが良いんだな。その後も芳子さんとの攻防は続くが弱みを知っている職員は強くなった。


芳子さんは、京城で英文タイプライターをしながら医大生の御主人を卒業まで支えた。終戦で日本に帰る船に芳子さんは一番に乗った。それくらい誰とでも仲良しで親しみやすい可愛い女性だったらしい。支え続けた研修医の御主人と別れ日本で呉服屋さんに嫁いだ。番頭さんやお手伝いさんがいてその頃の呉服屋さんは繁盛していたらしい。誰が来ても「コーヒー飲んでいきなさい。パン焼いてあげよう、上がっていきなさい」と誘い言いたい事を言いたいように言う性格が愛された。らしい。                             おじいさんが芳子さんを膝にのせて歌った子守唄がこれだ!「アイラブユー ユーラブミー 赤ちゃんが出来てもアイドントノー」。とってもひどい歌を高らかに楽しそうに歌う。本当にあったの?その歌?職員が【探偵ナイトスクープ】という大阪の番組にこの歌本当にありますか?調べてほしいと手紙を書いたら本当に探偵さんが来てくれた。まだ、レコードもない頃の歌で・・本当にあったの!来てくれた松村さんというよく太ったお笑いの方の背中をバンバン叩きながら「あんたよく太ってるねぇ」と嬉しそうに笑い何度もこの酷い歌を歌って聞かせた。誰を相手にしても扱いは同じか・・と職員ははらはらした。
百歳を過ぎてもなお毒舌は健在で、見るもの聞くもの全てに絡んだ。でも、なぜか嫌われないお得な性格。うんこちびったらごめんねぇと職員を抱きしめて泣き、夜勤をしているとベッドの端に寄って「ここで寝なさい」と引っ張ってくれて頭を撫でてくれる。辛いことないか?と聞くと「そりゃあ嫌な事もいっぱいあるよぉ。いい事ばっかりだと弱虫になるよね」と言うのよ。・・なんか、ジーンとすることがまれに、ごくまれに起こる。日頃悪魔な分、感動がでかい。

 その芳子さんが101歳で急性心不全を起こした。ハアハア息荒く辛そうなので、大急ぎで病院に向かった。酸素を装着したら外して投げる、先生に悪態付く、看護師さんに嚙みつく、ハアハア言いながら「かえるぅー!!」と叫ぶ。叫ぶのでどんどんハアハアなる。先生は「帰りつくまでもたないと思うよ」と言った。死ぬんなら帰ろう。帰りたい所に帰ろう・・芳子さん帰ろう、と泣きながら連れて帰った。生きて帰った芳子さんは次の日の朝「死ぬかもしれんと思ったぁーしんどかったぁー」と言い「綺麗なお花がいっぱい咲いているお花畑に自転車で行ったけど誰もいないのよ。だからね、帰ってきちゃった。今度一緒に行こうね、きれいな川もあったのよ」と笑った。そしてそこから一年半生きた。元気いっぱいに生きた。最後の日は【ももじの教えてくれたこと】の中に書いたが、朝からトイレに行きアイスを少し食べよく眠った。そしてももじに「よく来たね、ペス!」と声を掛け逝った。芳子さんらしくないゆっくりした穏やかなお別れだった。職員全員とご家族で体を拭いてお化粧した。大好きなお洋服を着て皆で最後の写真を撮った。ふっと「何やってんのよ。写真なんか撮らんでいいわ。人はそんなに簡単に死なないよー!」と聞こえた。

会いたい。背中に爪立てて抱きついても怒らんからさ。

(ご家族の許可を得て写真を掲載いたしました)