三話 泣きまね王 ふみちゃんのパステルワールド

緊急保護です。向かった先は団地の一階。
台所の真ん中の丸椅子にその赤い口紅を付けた婆様は座っていた。
電気もガスも止められた部屋の隅には段ボールが二つ。
一つは「使えるもの」もう一つは「売れるもの」とマジックで書いてある。
その隣には、積みあがった寿司桶。いろんなお寿司屋さんの桶だ。
冷蔵庫の中は腐って真っ黒、異臭を放つ。
婆様の赤い口紅だけが色を放っていた。
息子が年金入金日に全部パチンコに使い寿司を取るが、払えないので居留守を使うという生活が続いたが、母はアルツハイマー型認知症。忘れてしまってまたキャッシュカードを渡す。
緊急で連れ帰り、息子から逃げた。初めに言われたことは「ふみちゃんて呼んでね。その他はだめよ。可愛くね」「ふみちゃん がいいの。」「小原さんと言わないでね、集金みたいだから嫌なの」   なんか複雑だなぁ。
家賃や電気ガス水道、何もかも延滞しているので小原さんを連れて謝りに行く。
事情を説明し出来たら少額の分割を願い出る。
こういう事態だから一緒に謝ってね、と言うと小原さんは・・
「ここで泣いてっていう時言うてちょうだい。泣いてみせますっ」
別に泣かんでいいって・・笑
家賃、電気ガス水道6件のお寿司屋さん、小原さんは全てでベストなタイミングで泣いて謝った。泣きまね王なのだ。
謝った後、ドアに向かい歩き出したら必ず小原さんは言う。
「どうやった?うまいことやったやろ。」ニヒルに笑う。
どうやって生きてきたんやろ・・悲しくなるのを通り越した。

もう家には帰れないよ、と言うと小原さんは
「宮﨑さん、あんた私の死に水取るんよね。取ってちょうだいよ。」泣
いや、これも泣きまねだったと思うわ。騙されたんやけどね。
「取る」と約束したのでグループホームめいの家に連れてきた。
通算20年くらいの付き合いだった。最初の7年くらいは私の名前は覚えていたし他の職員に宮﨑がどんな悪党か話し続けていた。忘れるのは最近のことで、自分が家から私に拉致監禁されいろんなところで無理やり頭を下げさせられたことは鮮明に残っていた。きっと辛かったんだろう。嘘もいっぱいつく婆様なのでどの感情が本当かなかなか年期を積まんとわからんのよね。
そのふみちゃんが震えて本当に泣いたことが一度ある。息子が訪ねて来た時だ。
「怖い怖い」と小さな消え入るような声で呟き、じっと私を見つめた。
今、守ってやらんと絶対後悔すると職員は皆思った。大好きな自慢の息子だけど怖い思いもいっぱいしたんだ。と伝わって来た。   会うのはやめた。帰ってもらった。嘘いっぱいついて帰ってもらった。その後、息子からお金の無心の手紙が来たが本人には見せていない。今も私の机の引き出しにある。捨てられなくてねぇ。
初期から中期の認知症は、忘れるけど感情はどこか覚えていたり、なんとなく誰かの言葉で断片的に思い出したり、自分で自分が上手く扱えないもののようで、え!それ覚えてんの?ってこともよくあり、え!それ忘れちゃったの?そっち覚えててほしかったなぁ~なんてね。上手くはいかないけど、大切だから忘れないってわけでもないところが難儀な病だ。


ふみちゃんの面白いエピソードの中のとっておきは、
クリスマスに机の上にスノーボールが置いてあった。ふみちゃんは座ってテレビを見ていたからちょっとコーヒー淹れるねと言って私は席を立った。
コーヒー淹れて戻ると、いつもにも増してふみちゃんがニコニコニコニコ笑っている。唇やほっぺたにキラキラした金粉がついている。ん?ん?何?何で?
スノーボールのドーム型のガラスがない!!!中の水もない!!
えーーーーーーーーーー!どういうこと?ふみちゃん口開けて!
口の中からガラスのかけらが3つ見つかった。どこもケガしてなくてほんとよかったよ。
中の水は??服も濡れてないし床も濡れてない。????
「ふみちゃん、この中のお水飲んだ?」
「ふみちゃん・・・」

「ちょっと飲んだ」と少女みたいに照れ臭そうに笑った。

えーちょっと飲んだん?えー!
どうやってスノードームを開けられたかもどうやって飲んだかも
「謎」。

不謹慎ですが「ちょっと飲んだ」ってふみちゃんが言って
お腹抱えて大笑いした。めちゃくちゃかわいい「ちょっと飲んだ」だったんだ。膝にそろえた両手をクスっと笑って口を押えとっても幸せそうに少女のような声で「ちょっと飲んだ」と。

ふみちゃんは、私が夜勤だと絶対に寝ない。ずっと起きて何か食べている。夜中に二人で焼き肉したり、焼き芋焼いたり、すき焼きしたりした。匂いにつられていろんな方が起きてきて参加する。と。ふみちゃんはお客さんが来たと、一生懸命にもてなす。夜中のパーティはふみちゃんが仕切る。それはもう楽しそうに皆に話しかけ、おかずを取り分け、私を専属の使用人のごとく使いまくる。
でも、朝 日勤の人が来た頃には夢の中で、夜中のパーティを覚えていたことはない。
90歳を過ぎた頃、ふみちゃんは手を引いてもらわんと歩けなくなった。夜中、珍しくかんたが吠えるのでおむつを替えている手を止めて廊下に顔を出すと、よたよたと壁をさすりながら歩いているふみちゃんを発見する。「あぶないよー」って声を掛けて近寄るとふみちゃんのお尻にかんたがぶら下がっている。「この子、付いてくるねん。重たいねん。止めて、て言うてよぉ」と困り顔。ぶら下がっているかんたは紙のパンツをしっかり嚙んでまるで一人で歩くな・・と言ってるようだった。ふみちゃんを心配してるよ、と言うと廊下に座って「いい子いい子」とかんたを褒めた。小さな介護士かんたとふみちゃんは仲良しだった。

付き合い長すぎて、いろんなことありすぎて、大好きすぎて、一回では収まらないので、ふみちゃんはまたいつか登場することにします。4年前、フーっと深い息を吐き静かに亡くなったふみちゃんの周りにはみんないた。なぜか一番人の多い時間帯でみんながふみちゃんの部屋にいる時に逝った。夜中のパーティみたいだなって思った。皆に囲まれて「今だな」ってふみちゃんは選んだのかなって。   

いつだってウソ泣きして私を極悪人にするふみちゃんとまたいつか、夜中にすき焼き食べたいと思っています。