二十七話 忘れたい事がいっぱいあるから

「おふくろは、忘れたい過去がいっぱいあるから認知症になったんだと思います」電話の向こうの声に、言葉をなくしていた。そうかもしれないと思った。
何もかも鮮明に覚えていたら生きているのが辛すぎるから、キラキラした時代のことを記憶に残して、どうでもいい今のことから忘れるんだと思った。

初めて会った彼女は汗をぶるぶるかきながら、大きなバッグを肩から掛けてずっとずっと一日中歩いていた。どこかに行きたいのか、帰りたいのか そんなことも伝えずただひたすら疲れ果てて眠るまで歩いていた。絞ったら滴るほどの汗をかいてアスリートみたいに。もう何で歩いているのかもわからないけど不安に押しつぶされそうになりながらひたすら歩いていた。ご家族の希望でできたばかりの有料老人ホームを終の棲家とする事になり二週間のショートステイは終了した。二週間の間に少しだけ、ほんの少しだけ笑うようになり台所に立つ姿もあった。座りたくはないけど立ったままならご用ができる。思っている言葉は出ないけど、言われていることはわかる。そんな内容の報告と台所で笑っている彼女の写真を添えて初めて会った息子さんに渡した。ゆっくりと穏やかに笑って生きていけますように。ずっと動いていないと不安な毎日から解放されますように、と送り出した。一か月後、「台所に立っている写真の母が昔の母のままで」と改めて入所を希望された。自立した生活の中で、不安もあるからと入所される住宅型の有料老人ホームは認知症状が進むとちょっとしんどい。一人でいる時間を豊かに過ごせなくなった一人ぼっちは、どんどん認知症が進んでいく。それぞれの症状で居場所を選ばないと辛い現実となることも多い。介護者は勉強しないといけない。何を優先するのか、どんな生活がこの人に合っているのか、望みは何か・・どう生きてどう死ぬか だよ。施設に空きがあったらどこでもいいわけじゃない。ホテルのようなきれいな、おもてなしの施設がぴったりくる人もいるし、家族のようにずっとそばにいてくれる施設のほうが良い人もいる。場所ではなくて、最後の決定打は「人」だと思う。この人と一緒にいたい!この人なら何があっても信じられる!と思える人のいる場所を選ぶのがいいと思うなぁ。この人が見てくれていて起こった事故ならきっと家でだって、自分が一緒にいたってそうなっていただろうと思い、信頼できる人たちがいれば、その安心が一番の宝になるよね。   出戻りの彼女に話を戻すね・・。一か月半ほど住宅型有料で過ごした彼女は戻って来た。それからも廊下を歩き続け、食事の時間とおやつの時間しか座らない日々が一か月くらいは続いたけど、そこからは一緒にお家に帰ったり、ケーキ食べに行ったり、中華料理を食べに行ったり、だんだんと座ってられるようにもなっていった。彼女は、大きなおうちにご主人と二人暮らしだった。それぞれの家庭を持った息子さんたちを立派に送り出し悠々自適生活のはずだった。認知症は加速し、ご主人はその速度について行けんかった。家に帰ったら台所はぐちゃぐちゃで食べるものもなくて、お風呂も、洗濯も、何も出来んようになってきて、「なんなんだ?」って思ってるうちに家がおしっこ臭くなってきて、荒れた家に帰るのも嫌になって。話をしようにも伝わらないし・・思わず大きな声で起こったり、手をあげてしまう。いけない事です。罵声を浴びせたり暴力をふるったり・・いけないけど どっちもかわいそうでなりません。わからないから、どうしていいか分からないから。イライラもするし悲しくも苦しくもある。冷静に相手のこと、自分のこと分析なんかできない。誰にSOS出していいかもわからない。それに何より恥ずかしい。世の中にかわいそうな人を見つけるシステムなんかない。困っている人を探し当てるロボットもいない。自分から困っています、助けてください。と言わなけりゃ、大きな声で聞こえるように伝わるまで言わなきゃ救われない現実がある。仕事をする事が家族のためだと思って家庭をそれほど大切にしてこなかった団塊の世代さんたちは特にそう。嫁の好きな食べ物さえ知らなかったりする。釣った魚にゃ餌やらん年代ね。表現も伝え方もものすごくへたくそだけど、「愛」はいっぱいあるのよね。ただ、伝わりずらい。だから、彼女は一人で耐えた・・ように見えるけど。辛かったのは二人とも一緒よね、きっと。ご主人はめいの家に来てこう言った。「行けと言われたので来た。いったい何が問題だ?」「これは家族の問題だ」と。 奥様が毎日 疲れ果てるまで動き続け、台所の片隅で倒れるように眠っていても、何日もお風呂に入っていなくても、冷蔵庫のものが腐っていても、「何の問題もない」ことにしたかった。でも、めいの家に来た。ここに来たのよね。それがSOSなんだよね。もう限界だとわかっていた。素直じゃないわね。

入所されてから一年以上姿を見せなかったご主人が奥様の誕生日に大きな大きな深紅の薔薇を抱えてやって来た。

(これがその時のバラの花束です。)

しばらく見ないうちにおじいちゃんになっちゃった彼は奥様の手を取って並んで座っていた。「元気だったか」とだけ聞き取れた。奥様は「うん」と言って彼の膝に手を置いた。たったそれだけ数分のこと。私は〔夫婦絆〕をしっかり感じた。

そのご主人が今月旅立たれた。亡くなった次の日から彼女に伝え続けていたが、今日でもうそれもやめようと思う。毎日忘れて、毎日「亡くなったんだよ」という言葉の響きに「えっ?!」ってなってまた忘れて・・。息子さんが言う「忘れたい事が多いから認知症になった」としたらもういいんだよ、忘れていいんだよ。楽しい事だけ今だけでいいんだと思ってしまう。毎日驚かせるのをやめようと思った。認知症状のある人は皆過去を忘れたいのか‥と聞かれるとさぁ‥わからない。忘れることを悔やんで悔やんで悲しんで忘れて行く人もいるしね。でも楽しいばかりの人生なんかないでしょ、だから辛くて悲しくて苦いところはもう忘れちゃったらいいやんって思う。辛い部分は全部なしにして「be smile! be happy!」でどう?覚えていたい事は、忘れたくない事は、私たちが覚えていよう。そして、伝えていこう。ずっとずっと伝え続けよう。それでいい。私もあなたも色々忘れる時が来るかもでしょ。忘れたくない事も忘れたい事も同じにどっかに飛んでく日が来たら来たで、誰かが私を覚えていてくれるんだよねぇ。きっとそう。素敵な廻り合わせよ、きっとね。だからさ、安心して歳を取ろうじゃないか!ねっ。

 

ご主人様

ゆっくりお休みください。どうか奥様のことはお任せください。またいつか・・。

合掌。