宮﨑を呼べ…
今からさかのぼること事・・23年前。まだ30代よ、私。初めて働き始めた特別養護老人ホームで、居室担当になった爺さんの話。開所したばかりの特養はピカピカ!新しい綺麗なところで・・ここで働くんかーって思うだけで嬉しくなった。子供も小さいし夜勤もあるし不安は尽きんけどやるしかない。離婚したしね、頑張るしかないって時。
次々入所してくる皆さんの中に爺さんはいた。車いすを自分で動かして鋭いでっかい眼で睨みつけて誰とも話さず個室に陣取った。部屋に挨拶に行っても「用がないなら来るな」と言われ話しかけても睨まれるだけ。とにかく怖かった。特養では100人の入居者がいてそれぞれにお部屋を担当する人がいる。寮母長と呼ばれる偉いおばちゃんが大概決める。私はその爺さんの担当になった。ただただへこんで、嫌で、でも気にはなってたから、でも胃が痛かった。ここから半年に及ぶ爺さんと私の攻防戦が始まる。出勤したら挨拶に行く、帰る時はサヨナラ言いに行く。それしかない。何も手伝わせてくれないから、それしかない。何でも自分でできるのに何で?なんで特養?私は気になって気になって調べ始めた。爺さんはアルコール中毒患者だった。金属を加工する職人で毎日毎日細かい作業を一人黙々とする生粋の職人気質だったそうだ。奥さんに先立たれ娘を嫁に出した。一人になりそれでも黙々と働いた。お仲間に誘われ初めて競馬に行き、競艇を知った。こんな楽しい事が世の中にはあるんだってウキウキしちゃった。50歳を過ぎてからのやんちゃは歯止めがきかんかった。毎日酒を飲みギャンブルに興じた。楽しくてどんどんのめり込んで仕事どころじゃなくなった。気が付けば借金の山に酒に溺れ体はボロボロだった。戻ろうにも戻る場所さえなくしていた。何度も入院し、アルコールを絶ち、また飲んでしまう生活を繰り返し70歳を超えた。娘は疲れ果て縁を切った。もうどこにも行くところがない。もう夢も希望も何の楽しみも愛しい人もない人生になった。いつ幕を下ろしてもいい、何なら誰か幕引いてくれ‥くらい生きる気なかった。
毎日「おはようございます」と「おやすみなさい、さよなら」を言いに行っていただけで2か月が過ぎ、ある満月の日、爺さんの部屋に行った。「月見ません?」と入って行くといつものように睨みをきかせ「なんでお前と月見なあかん」と言った。うっわ!!しゃべったやん!!やったー!「これからの話をしよう」と隣に座り「一つだけ願いを叶えたいと思います。私と思いっきり楽しい1年間を過ごしてほしいです」と一気に言った。ドキドキやん!怒ったらダッシュで帰りまーす。口が勝手に「だってずっと怒ってるでしょ。何が気に入らんかもわからんし、でも機嫌悪いし、なんかもう顔見てるだけで滅入るし。施設入ったらもう人生終わりって思ってるんかもやけど、その人生終わりってとこで働いてる私の身にもなってほしいわ。何をどう一生懸命したらいいかもわからんし、せめて気に入らんことあるんやったら言ってほしいわ。」とまくし立てていた。爺さんは、私を睨み続け、「机の上の財布!!砂糖のないコーヒー買ってこい。500円玉持って行け」と言った。「な、な、な、な、なんでコーヒー?よ!!」と心の中で思ったけど「はいっ!!」っといい返事して素早く財布の500円を1枚取った。「お前の分もな」と爺さんは言った。お前の分もな…23年前やけど今思い出しても涙が出る。ここから私たちの歴史が始まったんだ。私たちはあったか苦いコーヒーをすすりながら未来の話をした。1日一合の酒を飲みたいこと、出来ることはしたいこと、と爺さんが言い、皆と仲良くすること、気持ちは口に出して伝えること、一合以上は絶対に飲まないこと、困った時は私を頼ることを私が言った。お互いに合意して「お酒の件は皆の理解が必要やからちょっと時間ちょうだいね」と言って黙って満月を二人で見て別れた。次の日から私は、家族や寮母長、施設長や看護師相手にプレゼン開始!手を変え品を変え一か月くらいは説得し懇願した。皆さん私に根負けした形で、私が一切の責任を取るという事で毎日一合の晩酌が始まった。でもよ、今考えるとよ、ぺーぺーの介護士がよ、責任どうやって取るん?辞めるん?辞めて済むん?その時はそんなことどうでもよかったんだ。爺さんがもう一度 人と繋がって生きようとしている、もう一度 誰かを信じようとしている、未来の話をしたんだ。この人をもう一度生かしたい、それだけだ。そして、夕飯に一合の酒が添えられるようになった。爺さんは見る見るうちに笑うようになり、皆と話すようになり、夕飯前になると寮母室に一合の酒を入れてもらいにコロンと可愛い湯のみをもって訪れる。その湯飲みを片手に、上手に車いすを操って食堂へ向かう。…ある日、ショートステイで来ていたじいさんが酒を片手に席に着いた爺さんをからかった。「アル中か?!!毎日働きもせんで酒ばっかり飲みやがって。飲ます方も阿呆よなぁ!!歩けもせんくせに調子乗っとんな!!」と大声で言った。黙って酒を飲み食事を終えた爺さんは、そのショートステイじいさんを殴った。そして一言も話さず部屋に帰って行った。ほらみてごらん!酒飲ましたらこういうことになるのよ!酔っぱらったら暴れるのよ!だから反対したじゃないの!いっぱい言われた。あんたのせいで暴力事件が起こったんだからね。私たちは知らんからね。って怒られ続けた。そんなことどうだっていい。早く爺さんの部屋に行きたい。本人からちゃんと聞きたい。絶対に酔ってない!!でも、同じ階にはいられないという事になり、殴った方が悪い・・よね。やっと解放された!急げ!!!爺さんを訪ねる。「入っていい?」「ちょっと待ってください」ん?なんで敬語?怖っ!!ドアを開けると爺さんはベッドの上で正座していた。「2階に引っ越すよ」と告げると「あんたの言うとおりにする。異存はない。すまん。」と頭を下げた。「わしの一杯の酒のために頑張ってくれたあんたを踏みにじった。あんたを馬鹿にされた気がしたんや」と歯を食いしばっていた。「酔ってやったんやない、絶対酒に酔ってやってない」と頭をこすりつけた。私はぶっさいくなぐじゃぐじゃの顔で響き渡る大声で泣いた。そして、「机の上の財布の中から500円持って行け。コーヒー砂糖いっぱい入った奴買うて来い」「新しい門出やろ。引っ越すんやろ。泣き止め。」と言い「あんたの分も」と私の頭をポンと叩いた。二人でゆっくり甘い甘いコーヒー飲んで、その日のうちに引っ越した。その後も爺さんは楽しく仲良く生きた。私は出来の悪い言う事聞かん介護士で、いろいろありすぎて解雇された。解雇されてからもそーっと夜中に爺さんとこ行って一緒にコーヒー飲んでいた。爺さんは食も細くなり私が首になりお酒も止められた。「宮﨑呼んでくれ」爺さんからの声は私に届くのに時間がかかった。飛んで行った先には動かない爺さんがいた。ごめんね、間に合わなかった・・ごめんね。
これが私の原点だ。一緒に生きたい。決まりごとに縛られずその人らしく生きたい。それを手伝いたい。最後まで一緒にいなければ叶わないなんておかしいよ。一緒に生きたいんだ。私の想いを叶えたければ作るしかない。一緒に生きる施設を作る。これがわたしの夢になった。
「いつもの足音が近づいてくる。うるさいおはようがやって来る。 さぁ、今日も生きてやろう。 順正」 (爺さん自作詩。)