幸せのワルツ

いつも微笑んでいるようなお顔だった。沢山話すわけでもないし元気に皆と仲良くできる訳でもない。でも、いつも窓のそばの陽だまりにいて「星影のワルツ」の替え歌「幸せのワルツ」を歌っていた。鼻歌みたいに聞こえるか聞こえんかぐらいの声で、邪魔にならんように歌っていた。いつも微笑んで歌っていた。傍に行くと必ず頭をポンポンと撫でてくれて「ええ子じゃのう、ええ子じゃ」とジャガイモみたいなよく働く手を差し出してくれた。ある日 部屋への帰り道に手を引いていた職員が「つやさん、この手すりに摑まって待ってて」と手を放し傍にあったおむつに手を伸ばした。その瞬間、ドスン!とつやさんは尻もちをついた。「ごめんねぇ」と職員が駆け寄ると「何もねぇ。痛くもねぇ。悪いのはわしや。謝んな。」って言い笑い幸せのワルツ歌いながら帰って行った。夜勤だった私は、後ろ姿を見送ってホッとした。よかった~!強いお尻でありがたかった。翌朝、つやさんは痛みで起き上がれんかった。早速レントゲンを撮って家族と話した。大腿部頸部骨折、高齢の上に持病もあるので手術はしない。このまま。もう歩けないけど「もう高齢だから‥」と。とにかく手術をしないなら動かしてはいけない。痛いから2,3人がかりでゆっくりおむつを替えて寝返りして、車いすに移れるようになるまでとにかく頑張ろうってみんなで話し合った。とにかく体をさすったり、話しかけたり、歌ったり、つやさんの部屋に皆入り浸った。ちょっと動かしても痛いみたいで、顔をしかめることが多かった。どうしてあげていいか‥考え続けて1か月がたった。同じ毎日を繰り返し繰り返し3か月目、つやさんが部屋にいることに皆慣れちゃった頃、つやさんは血を吐いた。胃に潰瘍ができていた。骨折では死なないかもしれないけど、その動けない毎日は、つやさんから穏やかな日常を奪った。毎日来る日も来る日も同じ真っ白の天井を見ていたつやさんの気持ちは…浅はかだった。できることはない、かもしれないけど。私たちは6人がかりでつやさんを車いすに乗せた。ただ窓際のいつもの席に連れてった。まぶしいくらい陽のさす素敵な昼下がりだった。30分ぐらいそこにいて つやさんはいつものように小さく歌った。「幸せのぉ~ワルツを歌おう~♬」って。そこからは毎日人手の一番多い時に起こして窓際に連れてきた‥けど遅かった。間に合わなかった。つやさんは何度も血を吐いて亡くなった。もう20年くらい前の話だ。けど今も頭を撫でてもらった感触が鮮明にある。今の私なら、つやさんとどう過ごしただろうって想い続ける。動けなくても話せなくても自由がきかなくても伝わらなくても、「もしわたしならどうしてほしいか」せめて考えながら待たせず行動に移さないといけない。「もしあの時、もしあの時‥」と悔やむのはもう絶対に嫌だ。生き方と死に方は一緒。私たちが死に方を決めたらあかんでしょ。最後までその人の意に沿った生き方と死に方が全うできるように傍にいられる介護士でいたい。今もずっと後悔が止まない。つやさん、ごめん。って謝り続けている。それしかもうできんのよ。



「ええ子じゃのう。ええ子じゃ」と頭を撫でてくれるに決まってるって、今も私は甘えている。

たった1枚持ってるつやさんの写真。

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