ずっと一緒に。堀江基先生。

めいの家が始まったのが2005年9月1日。今年で17年目の夏だ。初めて堀江先生に出会ったのは、そう2005年の8月。その頃の先生は40歳過ぎたばかりの若者で、おしゃれでカッコいいお医者さんだった。お知り合いの社長さんに往診医を頼まれて、グループホームが何なのかも知らずにやって来ちゃった感じだった。まず、認知症の人しかいない事に驚き、一生懸命に病気を治そうとしてくれた。先生は、よだれだらけの人にも、水虫だらけの人にも、何日もお風呂に入ってない人にも、口の悪い人にも、暴力をふるう人にも 近く近くに寄って行って笑って話しかける、その手汚いよっ!って言ってもご飯粒だらけの手を握っちゃう。コーヒーを出したら最後の最後まで飲み干してくれる。だからって、「僕、いい人ですよ」みたいな顔は全くしてない。開所して何年も経ってないある日、一人のばあ様がご飯食べなくなって救急車で運ばれ、亡くなった。食べなくなって2.3日は職員も雑炊にしたり、パン粥作ったり、起きた時にフルーツやアイスやあれこれ思いついたことはやっていたけど、どんどん食べなくなって‥ね。歳を取ると、何の病気でなくても食べなくなったり動かなくなったり、うんちやおしっこ出なくなったりする。一言で片づけるとしたら「老衰」ってこと。誰にでも絶対に起こる老い‥だけど堀江先生は自分が許せなかった。なんかできることあったんじゃないか、もっと早く入院の決断したら助かったんじゃないか‥とか先生は後悔した。

ものすごい偏見だけど‥ごめんなさい!世界中のお医者さん。わたしね、お医者さんって謝らない種族だと思ってた。間違っていても、失敗しても、わからなくても、ごめんって言えないし、わからないって言えない、言わない。感じ悪い高いとこから私たち見て、難しい医療用語でまくし立てて説得する感じ(私の医者に対するイメージ悪すぎやね笑)とにかく謝らないって思ってたんよね。ところが、堀江先生は「ごめんな。この人の死を無駄にしないように頑張るしかない。ごめんな。」と云ってね いっぱい泣いてくれた。私は、びっくりしすぎてただただ先生を見つめてた。かっこいい!!ものすごくかっこいい‼‼今思い出してもうるっとくるその瞬間を私は絶対に忘れない。この人と、このお医者さんと一緒に歩んだ17年は誇りなの!先生はいつも「で、どうしたい?」と聞いてくれる。病気を治す医師ではなく、病気もひっくるめてその人を診る、看る、見る、事ができて、生き方と同じくらい死に方も大切にしてくれる。

堀江先生は7年前、10周年のめいの家のパーティにこんな作文を寄せてくれた。

めいの家開設10周年MEI‘S TIMES記念号より

先生、ありがとう。先生がいたから 今日のめいの家があるの。先生がいつも一緒にいてくれたからめいの家で自然にこのままでって「ここで死にたい」って言ってくれる家族さんやご本人がいるの。そして、私たちは安心してそのお話を受ける事ができる。先生がいるから、ね。

先生、先生の医療人としての人生、ずっとずっとめいの家は、共にありたいと願っています。

堀江基先生に 感謝を込めて‼‼

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