流行る手話。

30年前、住んでいた団地で娘と同い年の園児がバイクに轢かれた。幸い大したケガじゃなく、転んで擦り傷くらいでママたちはほっとした。ただ、そのバイクを運転していた人が‥ろう者だった。みんなびっくりした。耳聞こえんでもバイクに乗れること、知らんかった。彼は、バイクだけじゃなく車も運転していた。奥さんもろう者で、お腹に赤ちゃんがいた。この事故きっかけで、私は初めてろう者の友人ができた。市が行っている手話教室に行き始めたのは ただ彼らの言語を知りたかったし話したいと思ったからだった。一緒にEXPOランドに遊びに行き、奥さんの産婦人科にもついて行った。違う国に来たみたい、新しい 声のいらない言語を知った。そして起こった‥阪神大震災。彼らは字幕のないテレビ画面が不安だった。あらゆるものが倒れて火事で、どうなってるの?って不安と小さな子を抱えてうちに来た。一週間ほど一緒に暮らして、つたない私の手話はめきめき上達した。「伝えなければならない」という強い想いは、何でもやり遂げられるんだねぇ。       そして、今。ドラマ「Silent」の手話が話題になり、今 手話教室が込み合っているらしい。日本語を話すように、英語を習うように、手話の世界も広がるといいなと思う。

ただ、当時の私はその友人夫婦にFAX機を貸してもらって、昼夜なくいろんな要望が送られてきて閉口してしまった。聞こえないんだからしてくれたっていいじゃないって言われてる気がして、しんどくなっちゃった。「そんなにいっぱい頼まれたらしんどいわ!」って笑って言えたらよかったのに。避けちゃった。どんどん要望が増えて、私の手話教室にもついて来てくれて、晩ごはんも一緒に食べて、手話の勉強に今度いつ来るかって毎日聞かれて、誰かに会うって言えば通訳、車で行くとなるとナビ役、こんなにボランティアしないといけないならもう手話なんか知らんでいいわ、と子供たちもまだ小さくてバタバタの私は手話を捨てた。友達も。

10数年前、由香が大学で手話を学んだのをきっかけに、また手話を見て。こんな世界があったなぁって懐かしくなった。今も元気でいるかなぁ、あのご夫婦は。地元の熊本に帰っちゃった彼らはどうしているだろう、ってね。

流行る手話を見ながら、胸が痛くなる。聞こえない世界は不幸じゃないけど、聞こえる世界を知る人には知りえない事がたくさんある。それは、どんな障害も、認知症も、加齢も、一緒な気がする。

流行に乗っかって 笑!もう一度 声のいらない世界に‥って思って考えた。近くに聞こえない人がいたら話したいと思って必死に覚えるけど、覚えても使う当てがないと忘れていくし、続かないでしょ。高齢者介護も一緒でね。自分や大切な人に降りかかったことには興味も持つし、取り組むし、努力もするかもだけど。関係ないとこにいたらそりゃあ知らん世界よね。興味の持ちようがない。「いつかみんな年取るし。」って言われたってずーっとずーっと先の事だしって思うよね。そうよね、それでいいかなって。困ってからでいいかなって、ね。そのために私たちいるしね。いつでも困ったらここにおいでって、旗振り続けたらいいのかなって、思った次第です。

老人介護も認知症も、ただのきれいごとじゃないリアルな日常を、誰か素敵なドラマにしてくれないかしらん。

ミモザ もうすぐ咲きます!

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