お茶席と着物

私の母は、呉服屋の長女で子供の頃はでっちさん(お店に仕事を覚えに来てる見習いさんみたいな感じかな)がお昼休み目指してお弁当を懐に抱え、母に少しでもあったかいお弁当を食べさせようと山越えて走って持ってきてくれたそうだ。ええとこのいとはんだったんだって。で、わたしはというと大きくなるまで‥高校に行くまでかな。12月31日には美容院で日本髪を結うのが毎年恒例で、三が日はその髪でずっと着物を着て過ごしていた。それが普通だと思っていた。お茶のお稽古にも行っていたし、これまた世間の子は皆行ってると思っていた。お初釜には晴れ着を着て皆いろんなところでお初釜を楽しんでいると思い込んでいた。友達とお正月を過ごすようになって我が家特有のお正月だと知った。父は、仕事から帰ってくるとスーツを脱いで着物を着る。家着は着物の人だった。環境が環境なんで、ちょっと普通の方より着物に詳しいし、着付けも畳み方も覚えたし、お茶を点てることができて ばあさま方には喜んでもらえる。何でも習っておくと無駄な事なんかないんだなぁって思う。何の役にも立たん習い事なんかないんやね。

昭和生まれのばあさま方は着物を自分で着られない人が多い。明治、大正のばあさま方は100%‼‼自分で着る。あたりまえか。お茶の作法もね。お花も生ける。着物も縫う。編み物も‥なんだってちょいちょいっとやっちゃう人が多い。その代わり昭和10年以降生まれになってくるとゴルフする、テニスする、洋楽聞く、海外旅行する、なんなら英語喋れるってね。変わってきましたよ~。

日本髪を結わなくなった私は、その反動か ROCKな洋楽にのめり込み、電気のギターを弾いて母を悲しませた。ライブに行っては夜中に帰り 門の後ろで掃除機の柄を振りかざして待ち構えている母に殴られ怒られたもんです。怖かったぁ。ちなみに私をたたいて折れた掃除機の柄を「あなたが折ったんだから新しい掃除機買って来なさい」と言う母です。

そんな母も今年で88歳になりちょっとはふにゅけた感じになった、なんてことは一㎜もなく相変わらず恐ろしい。

母の恐ろしさはさておき、我が家特有の着物生活は、今となってはただただ懐かしい昭和の風景だ。今のうちに着物の事や日本の古き良き文化をちゃんと引き受けておかなきゃいけない気がしてる。

古い写真です。

昭和の古い写真だぁ 笑
自分の髪です!
母と私。

前の記事

努力できる才能

次の記事

流行る手話。