変わっていく この世界。
「高齢者福祉」この世界に足突っ込んで、もうすぐ30年になる。
30年前のその頃は、明治生まれのぶっ飛んだ婆様がいっぱいいた。皆戦争真っただ中経験者で、生死を本気で彷徨う話を入れ歯が飛び出しそうなくらい笑って話してくれた。「笑う話じゃないやんか」と言うと「んじゃあ泣きながらしゃべったらなんかくれんのか?おいしいもん持っとるんか。出せぇ。はよ出せ!」とまた大笑いした。何てったって明治生まれの魔女たちはダウンタウンより面白い。絶対!
大正生まれは、明治ほどじゃないけど自由だ。最低限の暮らしさえままならなかったみんなは 解き放たれたら 自由なそしてわが道を行く魔女になった。誰の言う事も聞かん 家族を途方に暮れさせる気持ちの強い魔女になった。
とにかく自分の物忘れを人のせいにしてばかにするし、こそこそ話が隣の部屋に聞こえるぐらい爆音だし、悪口は直接言うし、早いもん勝ちで誰のもんでも食べちゃうし、殴り合いのけんかも辞さない、負けず嫌いなんだ。めいの家を始めた頃、私は明治生まれに何度も殴られた。倒されてもみ合いになったことも、竹の物差しでたたかれたことも。夜中に作って布団に忍ばせてた新聞紙の剣で腹を刺された事もある。向こうも本気だからこっちも本気でいく。それが礼儀だ。その日々の戦いが、攻防がワクワクした!面白すぎて休みいらんかった。わたしも夜中に剣を作った。戦いに勝てる剣を‼‼‼‼
だがしかし、昭和の婆様はちょっと違う。特に昭和20年代以降の婆様はかなり違ってきている。何かしら精神的な病を併せ持った方が多いように思う。普通の物忘れから始まる認知症ではない闇を感じることがある。だから、子供同士のけんかみたいな単純明快な明治の婆様と闘ったあの痛快感はないけど、複雑に絡み合っているものは何なのか解明に乗り出す。何がきっかけか、何が始まりかなんて、皆人によって違くてね。たった一つこれだけはってことはあるんよ。昭和以降の人間に、明治大正を生き抜いたあの強さはない。朗らかに ただ元気に朗らかに生きたあの強さに適わない。戦後の人間はふにゃふにゃですわ。すぐ諦めるし、すぐ拗ねるし、すぐため息つくし、すぐ逆切れするし、すぐに相手を思いやる。そしてすぐに自分が我慢する。ほんとの気持隠して我慢するから、病気になる。自分を傷つける。家族関係悪くなる。申し訳なくなる。自分を責める、そういう負のループにはまっていく。
見習おうじゃないか!!明治のぶっ飛んだ婆様を!自分のことをまず一番に考えて そこから、人のことも考えればいいじゃない。もう我慢しなくていいじゃない…って言ったってね。我慢する性分なんだからそりゃあ簡単には変われない。わがままでいいんだよって言われたって「わがまま」が何なんかわからんよね。
だから、好きに生きていいよって私らがすり込む。わがままな婆様になれぇーって呪いをかける。言いたいこと好きに言えるようにこっちも言いたい事言う。そのうち、本気でわたしとけんかね、しようね、って思ってる。剣の作り方教えちゃう♡
これから年寄になろうとしている私たち世代に言っておきたい。迷惑かけたくないとか思わんでね、バンバン言いたい事言って困らせていたとしても「でもこの人楽しそうだなぁ、笑ってるよね、いつも。やんちゃで困るけどね。」ってあきれられるくらいはっちゃけて生きましょ。自分の「たのしい!」を一番に。まずはそこから始めてみましょ。
うちのグループホームに、何でも家族のために。自分の事より周りの人に。みなさんは?ってすぐ聞くし、お風呂も最後でいいって言うし、どれがいい?ってチョコレートも選ばない。最後でいいよって。余ったのでいいよって言うご婦人がいる。それが普通でそうしていないと落ち着かない。でも、私たちは一番風呂に入れと言い、一番食べたいチョコレートを選ばせた。一番に自分の意思で選んでもらい続けた。「今が一番ゆっくりしてる。自分の事だけでいいんだもの。この後しておかないといけない事を考えなくていいしね、好きな時に眠れる。自分の事だけって楽よぉ。」って言ってくれた。‥と言いながらも皆に気遣う人なんだけどね。「可愛い年寄になりなさい!」なんて くそくらえなんだ!!
新聞紙の剣、作ってみる?!