点と線
私の知っている母の性格がある。
「こんな人」ってわかっている自信がある。
一番じゃないにしても私は母をよく知っていると思っている。
他人に、そうじゃないとか違う人格を親に当てはめられると反撃したくなる。私のかあさんはそんな人じゃない!…ってね。
でも、私はもう長いこと 母と一緒には暮らしてないからそれこそ一緒にランチしたり、たまに旅行したり、そんな着飾った母しか知らない。
それは「点」で もう母を理解してることにはならないんだ。
ずっと一緒に住んでいる弟夫婦や姪はいいことも腹の立つことも悔しいことも大笑いな出来事も共有しているはずで…太刀打ちなどできない。人生の「線」を知っているのだから。
言い訳をすると、弟夫婦がいて孫がいる家に私、小姑が泊まりに行ったり足しげく通ったりしたら嫌だろなぁって、うっとおしいだろうなぁって思ってしまうし、私自身もあまり立ち入りたくない実家となっている。母は90歳になるが一人で日本中の美術館に旅行する自由なお婆様だから心配して実家を訪ねなくてもレストランやカフェで会いましょうって店を指定してくる…くらいは元気だ。ありがたいのだ。
ただ母娘だけどお互いを「点」でしか知らないことは紛れもない事実で、それを悲観もしていないし悩んでもいない。楽しんでいるし 会うたび話すことは莫大な数に及び、話はぴょんぴょん飛び母娘にしかわからない面白い時間を共有している‥‥と思ってる。今、母が死んでもあれもこれもしとけばよかったことは私にはない。毎日できることは全部している。大したことじゃないよ。LINEは必ず返す、手紙を書く、お届け物をする、毎月一緒にご飯を食べる、三か月に一回母娘息子で飲みに行く。一年に一回 母娘息子で旅をする。二年に一回 母娘で二人旅をする…かな。それでも、母と私は「点」でしか結ばれていない。もしかしたら?親の事が一番わからないのかもしれないね。自分の子供に弱音や辛さや 自分のホントなんか見せるだろうか?私は見せてないなぁ。
めいの家の皆さんも同じ。「点」で結ばれている。生活に関しては介護士が一番よく知っている。認知症の進行具合も含め、毎日一緒に居て「線」で皆さんを知っている介護士が一番よくわかっている。昔の父母を思い浮かべるご家族にはなかなかその理解が追い付かない人が少なくはない。そこに介護士とご家族の信頼がなければ、ほんとに喧嘩になる。なったこと何回もある。この喧嘩は信頼されてない証なんだ。今 目の前にいるそれぞれの方のこれからをより良きものにするため 信頼を得て 同じ土俵で話し合うことができるようにならないといけない。家族の歴史がね、なかなかその理解を遮っちゃって。。ね。どんどん認知症が進んでいく父母を受け入れて理解するのは本当に‥本当に‥悔しいし辛いし悲しいし‥そこに介護士からあれが出来んとか こんなことしたとか、言われたらもう びっくりするし腹も立つし どこに着地していいかわからんようになるよね。なる。よくわかる。辛いよね。だからわたしたちはね、この人なら この人が言うなら そうなんだ!この人の言う事なら信じられるって思ってもらえる人にならなきゃならん‥というお話。
「点」で知っているあなたも 「線」で知っているあなたも
大切なあなたなのです。
母 三致子 娘 以知子