賞与に宿る 私の暑い熱い想い

「ボーナス!」の季節です。世の中は今 仕事があるだけで幸せだと思う。
私たちはコロナの前も今も変わらず仕事をしている。仕事量も働き方も変わってはいない。幸せだ。ただ、じいちゃんばあちゃんには気づかれないようにピリピリし、感染予防に相当な時間を費やした。初めてのことでオタオタしながら乗り越えようと必死だ。
そして「ボーナス!」の季節がやって来た。私の父は、私からは想像もつかないでしょうが化学工学博士です。研究者で人間の生活には全く興味のない変人でした。洋服が欲しいとお小遣いをお願いするとだいたい500円くらいくれます。無駄な物を買わないでくださいよ、と言われます。本を買うと言うと嬉しそうに3万円から5万円くらいはかるくいただけます。多分父の読む専門書は高いものだったんでしょうね。本を買ったら読ませてくださいね、と言われて困りました。父はバブルの頃、まだ銀行振り込みも無い頃「封筒が立つボーナス」を持って帰って来る人でした。母に分厚い封筒を渡している父はものすごくかっこよかった。お金にも物にも興味のない父は母が喜べばそれでよかったのか?持って帰って渡すというルーティーンをこなしていただけか? まぁまぁ父の話はまたゆっくりと・・。
今はそんな時代じゃない。ボーナスなんて出ない会社も多いし、コロナで業績がいい会社なんて一握りか・・。マスクやさんとか?
わたしはいつかあの頃の父のように、封筒が辞書のようにもたれ掛からず立つボーナスを出したい!!という夢がある。
なかなか現実的じゃないけど、笑われるだろうけど、いつか!いつか!って思っている。
そして封筒が立つボーナスを一緒に目指そう、この分厚さだよ、一緒に頑張ろうじゃないかって3年前からボーナスは全部1,000円札だ。
え?意味わからんですか?


1,000円札だと立つんだよ!!ほら!立ってるでしょ!いつかこれを10,000円札で立てようじゃないかっていう夢なんだけど。
これがまた、この意味を説明してもなお・・職員にはものすごく評判が悪い。
どうせ銀行に預けるのに・・とか、持って帰るの面倒・・とか、使う時恥ずかしい・・とか「またですかぁ?」ってみんな必ず苦笑い。
笑うやつは今度は500円玉にすんぞ!!って言っている。
1000円札で膨らんだボーナスの袋を渡して、無駄話をする。最近どーよって言う。

目の前に封筒立てて渡す この瞬間が大好きだ。困りながら笑っている職員がめちゃくちゃ好き。幸せにしたいと心から思う・・爆笑!!!!!
いつか絶対に10000円札が立つ広辞苑みたいなボーナスを渡せる経営者になりたい。
・・・と思いながら今初夏も1000円札を数える私です。

ボーナスは明日、6月7日。まだ誰も知らない・・サプラーイズ!
かんたの命日に。ボーナスの日はかんたを思い出して♡

すみません、お金の話ばっかりしちゃった。