二十四話 大正三年生まれの爺様 今なら犯罪級。

最初に知り合ったのは奥様。小さくてかわいくて「あれぇ?知らんよお」ってすぐ忘れちゃう。可愛い笑顔で「知らんのよぉ」って言われると、ま いいかってね。何でもすぐ忘れちゃって、忘れたことも忘れちゃう可愛い婆様が、唯一覚えていたのがご主人。ご主人がやってくると杖の音だけでわかるようで物陰に隠れる。「怖いの?」「嫌なの?」って聞いたらね。「そうじゃない!違う!言わないで!後生だから、言わないでください」と手を合わせる。涙ぐんで鼻垂れて・・床に頭を擦り付ける。なんてことだ!!怖くて怖くてたまらんと顔に書いてあるし!娘さんやご近所さんに聴き取ったところ・・星飛雄馬のお父さんみたいに何でもかんでお膳ひっくり返して奥さん叩いてたんだと。奥さん逃げたら道でも市場でもどこでも奥さんの髪の毛持って引きずって帰ってた。ある意味有名人だそうで。お巡りさんや自治会長さんや民生委員さんや娘さんや親せきや誰に言われても「こいつはわしのもんじゃ。どうしようとわしの勝手じゃ。」と胸張って言うそうで。奥さんも「ほっといてっちょうだい。わてがちゃんとできんのだから怒られて当たり前や。」「ええとこあるんよ。おとうさん優しい人や~」とご主人の味方をするんだって。そう言われてしまうと誰も介入できずにいたって・・。時代かな?ただただ男が一番!な時代あったでしょ。その時代かな、大正時代。奥様が認知症になって施設に入った時は、周りの皆はやっと奥さんが楽になると泣いて喜んだそうだ。どんな強面の大男が出てくるんかって思うでしょ。思うよね。・・それが・・志村けんさんの変なおじさんが老けたみたいな小さい小さい爺様が現れたんだ。130㎝の奥様と155㎝の旦那様、ちっちゃかわいい夫婦なんだけどDVって言葉もない頃のお話だからね。その爺様も自宅で一人で年老いて・・特別養護老人ホームに入所となった。杖でゆっくりなら歩ける‥ってとこがこんなに大ごとになるとは‥。自分の部屋の前に仁王立ち。一日中皆を監視している。誰かが部屋の前にやって来たなら、杖を振り上げ威嚇する。どうしてもズカズカ人の陣地に入ってくる奴が許せん らしいわ。そのうちに大変な事にならんと言いなぁ、って思いながら注意してたんだそうだが ある日振り上げるだけだった杖を振り下ろした。びっくりした通りすがりのお年寄りは尻もちをついちゃった。…大腿部頸部骨折。この爺様をどうか引き取ってくれないかと言われて、うちみたいな狭いところで杖振り回したら皆ケガしちゃうなぁって恐れおののきながらお試しで受けた。やって来た爺様は無口で礼儀正しく、一人一人に挨拶して頭を下げた。最初だから猫被ってんだ!!そうに決まってる。この爺様はこの日から約一年間猫被ったまま老衰で逝った。一度も大きな声を出すことなく、杖を振り上げる事もなく、何なら「かぁぜぇ~~」(その後は忘れた!)から始まる詩吟をお祝いの席では必ず歌ってくれた。必ず長い長い演説で場を盛り上げようとしてくれた。必ず途中で止められて「カンパーイ!!」とか言われるのに次もまた演説していた。何を言ってるのかは誰にもわからないくらい活舌が悪い。笑 なぜ、うちで杖を振り上げなかったかは全く分からない。わからないけどとても穏やかで楽しそうな毎日に見えた。ご飯食べられなくなって点滴してもらっても、点滴抜いてトイレ行っちゃうくらい元気だったんだけど ある日大好きな女性職員がコーヒーを部屋に運んだ。ベッドで一口飲ませてもらい、深い息を吐いた。幸せな最期だった。                 天国で奥さんに会ったら優しくするんだよ。今までのことごめんねって言うんだよ。もし奥さんが別の人と幸せに暮らしていたら声かけずにいなさいよ。などたくさんのことを爺様に伝え送った。2007年8月のお話です。このころの私たちはまだまだ看取りが怖くてならんかったように思う。特にこの爺様が亡くなった8月にはこの爺様のほかに3人の婆様を看取った。さすがに心が折れそうになっていた。毎日喪服で、お通夜・・告別式・・看取り・・を繰り返していた。心ボキボキの夏だったなぁ。そして、そして、この夏が私たちを強く「明日死んでもいい」と思える今日を作る集団に導いてくれたことは間違いない。

じいさん、奥様に謝ったかい?