エンディングノートにハマるの巻
新しく入居する方を迎える時、必ず話すことがある。今後、延命をお考えですか?
それから、どこで亡くなりたいか‥という事をお考えいただけませんか?
と話す。多くの方はまだまだそんなことは考えたことがないし、でもぼちぼち考えないといけませんね。と言われるが現在ぴんぴんしていてちょっとにくったらしいことなんかも言えちゃったりすると、死に方なんか考えない。その時が来たら嫌でも考えるからまだいい・・っていうか自分のことじゃない感じでね。そして、いざって時が来たら、この人はどうしたかったんだろうって考えたって答えはないし、聞いたって返事はないし、延命するの?しないの?って聞かれたってオロオロしちゃうわけで。自分の決定で家族の命が決まるみたいな気がしてなかなか決められない・・。私が誰か、ここはどこか、あなたが誰か、分からなくても一分一秒でも長く生きてほしい、息していて欲しいって言われるご家族も、口からご飯が食べられなくなった時がもうその時ですよ、って言われるご家族も。考え方はいろいろで当たり前。思いやり方はみんな違う。それが家族だから。
だけど、本人に聞けない事は辛い。あなたはどう生きてどう死にたいか。。自分で決めたかったんじゃないかって、ね。
100歳を目標にしていた婆様は100歳のお誕生日を喜ばなかった。100歳を目標にしていた自分を忘れちゃっていた。でも、娘さんは婆様が80歳の時、呼吸器付けて延命して寝たきりでも生きたい?と問いかけたことがあるそうで、その時の婆様は「あたりまえやないの!生きたいに決まってるやないの!」と答えたそう。だから、延命しないという選択はないと。100歳を越えたら次は125歳が目標になったんだと言う。
そうやって家族に伝えておけば、自分の生きたいように死に方を選べるかもしれない。ただ、病気もするし、急なトラブルもあるから絶対はないけどね。どう死にたいかを知ってくれている人がいるだけで、ちょっと気が楽になる、はずだ。
そこで、私は・・。2年前にちょっと病気をして、「癌かな」なんて言われたりして、結局持病程度の食生活改善を余儀なくされた感じの自分に甘えた病だったのですが。今までよりちょっと死ぬことを勝手に身近に思った時期があったのね。今死んだらどうなるだろ?うわぁ!!借金が残しちゃうよ!新しい靴履いてないなぁ、机の引き出し見られるなぁ、隠してるワインどうしよう・・、って考え始めるとこれを整理するくらいは時間欲しいなんてね、思っちゃってね。実にしょうもない、悩みなんて言えるようなもんでもなくて、見られたら恥ずかしい程度のもんで。でも自分で始末付けて死にたい気はした。
どう生きるか、は どう死ぬかに繋がっている。だから、生きたい方法も死に方も伝えておかなければ実らない。
で、エンディングノートの登場です。これは私が使っているエンディングノートです。
もっと暗い泣きながらの気持ちで書くのかと思いきや、これが結構楽しくて。
夢は広がるし、妄想は果てしないし、洞穴見つけた子供みたいなワクワクした気持ちで書きましたが、一年後!!!
読み返すとこれがまた・・??・・今思っていることとは違って・・こりゃあもう毎年お誕生日に、書き直せる間は添削するしかないって思って今1度目の書き直し中。このエンディングノートの1ページ目はこんな言葉から始まるのです。
想像するところから始まります。・・ちょっとこの想像ドキドキします。死んだ想像なんて、本当に想像でしかないけど自分が死んでいるベッドの斜め上あたりに私いて「ほほう・・こんな感じなのね」って見てる想像からベタだけど始まって。家族や皆が私が中途半端に残したことを片づけるために走り回ってくれているのを「すまん!!」と手を合わせながら見ている感じ。お父さんやかんたやももじと 残された人たちはいつも大変だよねって言っている。いざ!考えてみたら私には思い残すことはなかった。明日死んでもいいくらい充実して生きている。お棺に入れてほしいものもないし、手紙を残したい人もいない。これだけは譲れないものもないし、心配で仕方ない事もない。でも、明日が不安だという事もないし、もちろん生きたくない事もない。当たり前に明日が来ているけど、それが途切れることも不安じゃない。深くわかってないだけかもしれんけどね。唯一、家族が病気で苦しんだり事故にあったり、職員が辛い思いをしたりしなければそれでいい。 割とあっさりしてるわね、私。
プライベートがガタガタな介護士は心のケアができない。自分のことも幸せにできない奴は人の幸せに踏み込めない。そんな人にそばにいてもらっても落ち着かない。だから、万年幸せな人生を歩んでいる私は介護士の鏡です!笑 まぁ、辛い事がない人生なんかないからさ、素早く立ち直るツールを持っていればそれでいい。どうにもならない事も起こるけど一緒に悩んで考えてくれる人がいる幸せもあるし、立ち直る力に変えられる強さも手に入れることもできる。…ってなことを自分のためにエンディングノートに書き残す楽しみはなかなか素敵だ。
でも、歳を取るってかなりしんどい。出来ないことは増える一方で、逆上がりやダッシュ、オールナイトで踊ったり飲み明かす事、夜勤明けにスキーに行ったり、仕事終わりの夜行バスでテーマパーク行ったりね。もう絶対に出来ない。身体は自分が思ってるよりも言う事を聞いてはくれないけど、心は若い頃より強く頑丈になっている様だ。これは経験?宇宙一不幸だと泣き明かした失恋や、立ち直れない友達と諍い、時間を戻したいほどの仕事の失敗や何もかもから逃げた過去・・悲しみや辛さを積み上げた経験は今 無駄になっていることなんか何もないのかもしれない。 やっと、ちょっと爺様や婆様の気持ちがわかる介護士になってきた かな。
延命するかしないかだけじゃなくてね、年を取って自分の意思を伝えられなくなる、もしかしたらを想定してどう生きたいかどう死にたいかを伝えておかなければ 大切な家族が苦しむことになる。皆さんも是非、その日に備えて想像して、そして伝えましょう。最後の瞬間まで、自分の思うとおりに生きられるように。自分のために、大切な家族のために。