二十五話 爺様がつないだ絆

8月16日、昭和、平成、令和を仕事一色で生き抜いた爺様が旅立った。
爺様は、最愛の妻に先立たれ一人で暮らしてきたが、認知症を発症しデイサービスにやって来た。大柄の爺様は社長さんらしい風貌でちょっと上からモノを言うが笑顔の優しい経営者らしい大物だった。迎えに行くと家の中で倒れていたり、大きな内出血痕が背中にあったり、足首をねじっていたり、ハラハラすることだらけで周りは皆「一人でいるのはもう無理」って言っていた。爺様はいただいたものを毎日奥様の御仏前にお供えし、残りをデイに持ってきて振舞ってくれた。男性職員には「給料はいくらか」と聞き、頑張れば頑張った分だけ仕事は答えてくれるんだと解き、労ってもくれた。昔の成功話をいっぱい聞かせてくれて自信満々の人生だったように窺えた。仕事一筋の爺様は、子育てにも家のことにも全く興味もなく手伝う事もなかったそうだ。その、息子さんがお嫁さんをもらって、そのお嫁さんをこよなく愛した。「あの子はええ子や。何でもあの子に言うといたら大丈夫や。」と大絶賛で、こんなにお嫁さんを褒める姑もめずらしいなと思うほどだった。そして、孫を大切にした。「子育てって大変やな」って苦笑いするほどに孫の子育てに一役かった。その頃やっと仕事以外のことにも目を向ける余裕ができたんだと言った。孫がかわいくてかわいくてしかたなかったのと息子に出来なかったことを孫で取り返そうとしたらしい。そのお孫さんの結婚を「感無量」と涙を浮かべて喜んだ。
一人では生活できなくなった爺様は、グループホームにやって来た。お財布と携帯電話、そして愛用のベルトを離さなかった。パジャマを着ていてもベルトをして胸のポケットに携帯、ズボンの後ろポケットに小銭入れを入れた。朝一番、職員に「今日の予定は?」と聞き「今日中に○○百万円支払いがある」「ちょっと振り込み頼めるか」などと人使いが荒かった。小銭入れから1000円出して「みんなでサイダー飲もか」としわくちゃの顔で笑った。立ち上がるとフラフラで足を擦って歩くのが危なくて、でも私たちの言う事なんか絶対聞かないから、何度も転んだし、ベッドからも落っこちた。擦り傷や青タンが絶えずやんちゃな小学生みたいにケガばっかりしていた。どんなにズルズルに血だらけになっても痛いとも言わず「こんなもん大丈夫や」と笑っていた。血液検査やらでなんだか悪いとこありそうで息子さんと受診したけど途中で検査止めて帰ってきちゃった。爺様は「いつ死んでもいい。全然いい。何にも思い残すことはない。あとは息子と息子の嫁がちゃんとやるからええよ」と口角上げて穏やかに笑って言った。何度聞いても同じことを言った。お正月は迎えられないだろうとお医者さんに言われた爺様の身体は、癌がいっぱいだったそうだ。でも、宣告された余命を8か月も越えて元気に生きた。笑ってお茶目に生きた。20キロくらい痩せちゃったけど、男前は変わらんかった。

春、4月1日。爺様と私は部屋にいた。エイプリルフールだねぇ、なんて言いながらロールケーキを食べていた。「これやっておきたかったなぁ、とか これ食べておきたかったなぁ、とか なんか叶えてほしい願い事はないの?」と聞くと満面の笑顔で首を横に振った。 「いつ死んでも後悔なんかない。いつ死んでもかまん。孫がかわいいええ奴らや。頑張れって言いたい。嫁はええ子で何でも任しとけるんや。あの子に言うたら間違いない。息子と遊びたいな。忙しいて遊ぶの忘れてたから。」と言い「伝えよか?」と言うと「僕が死んで半月経ったら言うてください。半月後でお願いします」と私の右手の親指をギュッと掴んだ。私は9月2日、息子さんに電話した。   爺様、今日、約束を守りました。半月経ったので息子さんに伝えました。

8月15日、夕食もちゃんと食べて爺様は、右手で敬礼のような格好をして「おやすみ」ってベッドに入りました。夜中も朝方も小さな寝息を立ててよく眠っていました。1時間後、朝日が昇り おむつを見ておこうと爺様の体に触って呼吸をしていない事に気が付いたのです。眠ったまま旅立ちました。16日は奥様の月命日だそうです。お盆の送り火を炊くその日は、先祖代々皆が帰って来ていて賑やかだっただろうと息子さんは言っておられました。「さあ行こう!」って親父が掛け声かけたやろね、きっと。と笑っておられました。いろんな病魔と闘っていたのかもしれないけど、爺様は一度たりとも痛いとかしんどいとかそんな弱音は吐かなかった。上がらない腕を悔しそうにしてはいたし、立ち上がれない力のなさを嘆いてはいても諦めはしなかった。「あぶないから座って」って何十回何百回言っただろう・・悔しかったのかもしれない。爺様は力強く生き抜きたかったのだろうな。

お通夜の日、住職がお経を終えて人目をはばからず参列者の前で号泣されました。爺様と一緒にご飯を食べた冬の日の話をされました。泣いて泣いてよく聞き取れませんでしたが、確かに愛をいっぱい感じました。住職がお通夜で泣いているのを私は初めて見ました。愛されていたんだなぁって爺様、素敵なお付き合いされていたんだなぁって感動しました。

爺様が亡くなった次の日、お孫さんお二人が爺様の甚平を取りに来られ、ついでにお部屋を片付けてくださった。甚平を手渡して「じいちゃん・・」爺様直筆の表札を見て「じいちゃん・・」ベルト、時計、全部に「じいちゃんや・・」と。「じいちゃん・・」この一言にお二人の強い愛を感じました。本当に爺様は幸せな人だなぁ・・って思いました。

爺様が繋いだ絆、素敵なご家族、お仲間です。

身長170センチ以上、体重80キロ近い大男の爺様を終末まで見ることはできない、どうやって抱えるの?お風呂はどうするの?トイレはどうするの?どうしてベッドに横になるの?・・・何度も何度も無理だよね、介護ロボットとか?って話し合い続けた私たちは、「無理だよね」から話を始めていたけど結婚と一緒かもね。この人とならどうにか乗り越えたいと思うかどうかだ。乗り越えたかったら方法は探せるもんです。諦めなかったら一緒に生きられるもんです。初夏からこっち 誰も爺様と暮らすことに「無理」って言わなくなったんだ。私たちもまた・・爺様のことが大好きだった。それだけで何も無理じゃなくなった。楽しかったから。

爺様!!ありがとうございました。また、会いましょう。

爺様がここに座れ‥と言った時の写真を公開します。(笑)いい写真だわ!懐かしい。

 

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