三十話 愛された人
平成26年、家事、金銭管理ができなくなっていた。捨てられずに天井に届くまで積み上げその新聞の間に紙幣を隠すようになった。買い物したことを忘れ冷蔵庫になかには賞味期限の切れた物がたくさんあったが、料理の仕方を忘れてしまい詰め込んでいた。収拾癖があり何も捨てられないのでアパートは1年程で「ゴミ屋敷」と化した。ご主人のSOSで介入した時には、入浴も2年くらいはしていないと察することができた。腰まで伸びた髪は束ねられてコテコテでお団子が動きもしない状態だった。そして、夫や娘に暴言や暴力が頻繁に見られた。アルツハイマー型認知症、速度を上げて進んだようだった。ご主人は10歳ほど年上で、肺に大きな病を抱えていた。娘さんも障害があったが二人の世話は、もはやできなくなっていた。地域の包括さんたちは、部屋に入るのにゴミをかき分けかき分け異臭に耐えてやっとリビングだろう所にたどり着くのに30分近くかかった。すべてのごみの間に紙幣を隠しているもんだから捨てるわけにもいかず、触るとものすごい剣幕で怒るのでちょっとだけ精神科に入院してもらった。そして一か月かけてお片付けし、そのままめいの家に入所となった。病院で散髪し腰まであった髪はショートカットになっていた。小さな痩せた体で短髪の彼女はずっと眉間にしわを寄せてきつい言葉を使っていた。病院に会いに行っても「知りません。帰ってください。話すことはありません。」と座ってもくれない。が、ご主人は「この子が死ぬまで安心して暮らせることだけが望みです。家で家族で暮らすのはもう無理でしょう。あの子の負担が大き過ぎる。かわいそうや」奥様のことを「あの子」と呼び大切にされているのがよく分かった。話していても息切れするご主人はこれから娘さんと二人、どうされるんだろうかと心配にもなった。 でも!私たちにできることは まず「この子」を安心して暮らせる状態にする事よね!そして、入所日。妹さんと共に相変わらず険しい表情の彼女は朝一番にやって来た。部屋に入り荷物を解く。「止めて、家に帰るから出さんといて。何しにここに来たん?」ここで暮らすことを伝えると「家に帰られへんねんやったら飛び降りるわ。もう生きててもしょうがないわ。なんでこんなひどいことするの?」と叫び暴れた。妹さんはその姉を見てただ泣くばかりで・・泣いて泣いて姉に同情し ただ「かわいそうや。かわいそうやわ。」としゃくりあげた。申し訳ないけど・・妹さんには帰ってもらった。負の連鎖でしかないから。一緒にいても一緒に悲しむだけで何も前に進まない。覚悟も出来ない。このままじゃ毎日同じことで泣かなくちゃいけなくなる。はい!今日からここがあなたのお部屋ですよーここで暮らしてくださーいって言われたって、ねぇ。自分が何をしたかなんて覚えてないし、何が起こっているのかわからないし、家族仲良く暮らしていた時の記憶しかないのに、なんでそれダメって言われてんのか全く理解できない。誘拐された気分よ、きっとね。部屋にも入らずハンドバッグ握りしめた彼女は廊下の隅に座り込んで知ってる罵声を全部私に浴びせた。気が付けばもう夕日が沈む時間になっていた。私も彼女もずっと廊下の床に並んで座っていた。「私お腹すいたんだけど。とりあえずちょっと休戦してご飯食べない?」って言うと「休戦?あなたと戦っているつもりはありませんし、食べてあげてもいいですけど何でもという訳にはいきません。私は舌が肥えていますから。あなたと一緒にしないでください。」と挑んできた。しめしめ・・お腹がすいたんだな。と思い廊下の端のその場に机を持ってきて食事の用意をした。運よくその日はお刺身だったなぁ・・彼女はお寿司が大好きだから本当に良かった。一言もしゃべらずペロッと完食、そのまま部屋に入ってすぐに寝た・・。え?どうなってんの?夜中に起きてまた叫ぶかな?暴れるかな?約8時間、廊下の床に座って叫んでたんだからそりゃあまぁ・・疲れただろうよ。私もお尻に感覚がなくなっていたからさ。でも、これで終わるわけがない。明日からもこの戦いはしばらく続く。気が重いなぁって思いながらなんかあったらすぐ来るからと夜勤に言いおうちに帰った。次の日の朝、元気に朝ご飯を食べ何もなかったように、何年も前からの住人のように、テレビの前に座り皆さんとコーヒーを飲んでいた。「私朝ご飯の後は必ずコーヒー飲むの。コーヒー大好き。あなたは?」と聞かれた。「飛び降りる!殺せ!死んでやる!」と泣き叫んでいた面影は全くない。それから今日まで仲のいい相手を看取りつつ、励ましたり、意地悪言ったり、少女のように笑い転げたりしながらここでの生活を楽しんでいる。入所してすぐに娘さんは病気で亡くなり、1年後ご主人は自ら命を絶たれた。「この子が幸せなら、それで充分。この子を頼みます」と。彼女は今もご主人の死を知らない。「主人は趣味が多くて、私が起きたらもういないねん。散歩したり、釣りしたり、図書館行ったり、好きにしてはります。」と笑う。これから先も彼女にご主人の死を知らせることはない。このまま、このままでいい。スイカの甘い部分だけをご主人は置いといてくれた。マニュキュアを塗ったらご飯の用意してくれた。魚釣ってきたらさばいて刺身にして握りずしを作ってくれた。どれだけ実家に帰っても怒らんかった。朝起きなくてもご飯作って仕事行ってくれた。大事に大事に優しく甘やかされて暮らしてるって自慢する。「それ、ふつうでしょ」って目を細めて笑う。ご主人自慢は延々と続く。嫌味なくらい嬉しそうに自慢する。幸せのカタチはそれぞれだけど、間違いなく彼女はたくさん愛されて、大切にされた人だ。
ご主人へ 貴方の大切な人は、今もあなたの思い出と共に幸せに生きておられます。そして、元気です。ご安心ください。 めいの家一同