それぞれの大切

お葬式で、初めてゆっくり話せた家族がいたり、亡くなってから訪ねてくださってやっとこんな方だったんやって判ったりね、そんなことは結構よくある。もっと早くゆっくり話が出来ていたらって後悔することも多い。生前は、なかなかキーパーソン(主介護者)以外の面会者とは親密に話をする事はない。せっかく来られたんだからご家族とゆっくり話していってほしいと思うし、邪魔しないようにその時間と空間を作る努力をする。でも、ちょっとはしゃしゃり出て一緒に話したりすることも大事かって思う、いつも亡くなった後で。亡くなった後体拭いたりしながら、お通夜で誰もいなくなってから、ゆっくり思い出話なんかできたり、部屋を片付けに来られた時に・・ね。でもそれはそれでやっといろんなことぶっちゃけて話せるようになった感じも嫌じゃない。過去にケンカしたことや話し合いが平行線だったこと、それぞれの立場で思いが違ってさあどうすっかってお互い嫌いだった家族さんと一緒に泣いて笑ってこれまでを振り返るのは本当に「懐かしい思い出」というのがまさにぴったりだわって思う。〔それぞれ大切にしていること〕は違くてもこの人に幸せで笑って生きてほしいっていう想いは一緒の場合が殆どだから、だいたいはどこかで相容れる。また、一緒に暮らしていて施設入居を決められた方と、一緒に暮らしたことのない家族では考え方が全く違う。一緒に暮らしてしんどい事も困った事も認知や老化の症状が顕著に表れてきたのを傍で見て触れて知っている人は、体験から無茶を言わない場合が多い。笑 そして、身をもって大変な思いをした人はとても強い。一緒に暮らしたことのない家族は、果てしなくわからないことだらけで、でも昔の父や母をまだ持ち続けているのでなかなか実感として取りあうことができない場合がある。「昔から母は○○です!」「父は絶対に○○な事は言いません、そんな人間ではないんです。」・・昔の姿に翻弄され続ける。認知症状が進むと、一昔前のご本人とは違う人格になっていることもあるし突拍子もないことを言い出しても返事できずどんどん傷ついていったりする。遠くから見ていた家族は優しい。ただ優しい。でもその点私たちは、認知症になってからのその方しか知らんので、何とも比べず付き合うことができるのが一番いい所でね。昔、官僚だろうが医者だろうが弁護士だろうが教授だろうがやくざだろうが荒くれものだろうが借金王だろうが性別が何だろうが関係ない。目の前のその人とただ、付き合っていくだけだ。そこだけは家族より近くに寄っていくのは早い。「こんな人じゃなかったのに」っていう比較はないんだから。

わたしは、一回諦めてあげてください、と言うことにしてる。期待されて まだまだできるとか、こんなんじゃないとか、どうしちゃったのよ!とかなんでわからないの?とかどうして忘れんの?覚えてないの?ほんとに?とか・・そしてがんばってーお願い!がんばってよってって言われちゃったりして。精一杯頑張ってるのに、もう何が何だかわからんようになって、認知症だけじゃなくて老人性の鬱病なんかにもなる。死にたいとか、早くお迎え来ないかなとか、先に何の楽しみもない人生のように思ってしまう。家族もまた、家族のこともわからんようになったんか‥ってショックを受けてね。だから、一回諦めてもらって・・今のこの人が笑って一日を過ごすためにできることって何だろう?私が誰かなんかどうだっていい、今何食べたかは私が覚えているから、この人が楽しく穏やかにそしてたまには喧嘩してむくれて、又仲直りして一緒に綺麗なもの見て美味しいもの食べて、いつも通りの毎日を、今日もできたね、お箸上手だよね。歩いて池の周り一周できたやん、たわいもない事喜び合えて、当たり前のことを感動できる相手でいたいしね。今日生きていることは決してあたりまえじゃない、でしょ。「めいの家」はね、実は諦め悪いし、我慢しない。辛い事を辛いままにするならめいの家である意味がないの。だからね、一回諦めたら見えてくる景色が変わることを知ってもらいたいんよ。それぞれの大切はそっから先にあるはず!!でしょ?!??!

私の母は、今年86歳になった。忘れることも多く、こだわりも強くなった。怖くて厳しくて強い人だったがあまりその面影はない。一日出かけると次の日は一日ゴロゴロしているし、何度教えても同じことを何回も聞いてくる。人の悪口もパワーアップしたし大したことじゃないのにぷんぷん起こって怒鳴ったりする。凛とした着物の似合う人形師だった・・今も人形師ではあるがその昔のイメージを重ねると「年取ったなぁ・・」ってため息も出る。でも、母が楽しく充実した毎日を過ごしていれば それでいい。人格・性格?出来ないこと?忘れること?体力?いろいろ思い悩んだって仕方ないし、それこそ周りの人間の勝手な妄想でしかない。「こうあってほしい・・」と昔のままの幻想を押し付けられた方はやってられない。わたしなら、ほっておいて欲しいし、いろいろぐちゃぐちゃ言うんなら来ないでって思うかもね。だから、毎日毎日 今日の母を好きでいようと思う。そして今日の母の好きなように生きてほしいと思う。それができなくなったら「母らしく・・」なんて昔を振り返って野暮な事言わず、楽ちんで平穏でいつも通りをできるだけ続けようと思う。

それぞれの立場の大切な事があるだろうけど、一番は本人が我慢しないで笑って暮らす事。そこを侵す人にはならないでいよう。

最近、母からLINEが来た。「元気ですか?寒くなりましたね。今年のクリスマス、もう体力もいい考えも浮かばなくなったので私のことは抜きにして楽しんでください。長年いろいろとありがとうございました。皆さんによろしく伝えてくださいね。…感謝…」ってね。もう一瞬で腹が立った!「何を言ってんだ!一人でテクテクどこにでも行くくせに!クリスマスいっぱいの街に出て、喜ぶ顔想像しながらプレゼント選ぶ楽しみ思い出しなさい!何言ってんだか!!ババアみたいなこと言っちゃってさ。」って送ったら返事が来なかった。次の日母は梅田にいた。電話で「昨日いっちゃんのLINE見て・・来たわよ!クリスマスの街に!今美味しいコーヒー屋さん見つけて飲んでるの。ウフフ」こういう奮起もある。何の気弱だ!!たまには怒らないとどんどんババアまっしぐらだからね。(母から送られてきたコーヒーの写メ)

諦め悪いのも大事。でも、一回諦めてみたら新しい素敵な関係が始まるかもしれない。

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