我慢してもらって‥
古今、老人虐待のニュースが後を立たず、車椅子の爺様を誰もいない部屋に放置して鍵をかけたり、認知症だからと殴ったり、呼ばれても行かなかったり、罵声を浴びせたり、だいたいの場合その状況に慣れてしまい、周りの職員も日常になっていて虐待だとは思っていない場合が多い、とか。確かに。しっかりしないと、その一線を越えることは容易いのかもしれない。私はいつもその類のニュースを見ながら、その行為に及ぶ前に何があった?って思う。そうなる前にその職員を救えなかったか?虐待する職員には精神的な我慢の限界があって誰にも言えずふつふつと怒りや辛さや悲しさや切なさや‥負の感情が渦巻いたはずだと思うから。誤解しないでね、絶対いけない事。もちろんです。許される事じゃない。その上でのお話。
認知症状の一片と認知症進行予防の薬の副作用でも、暴力的になる人は少なくない。何をされるかわからない怖さや、言葉が出ないので暴力に訴えてる方、忘れてしまうので何もかもが恐怖で暴れる方も。色々な原因や理由はあるけど、介護士は殴られる、噛まれる、蹴られる、引きずられる、引っ掻かれる‥‥は日常的にあるあるだ。でもこの問題は長い間、知らん顔されている。これも仕事の一部だからか?そんなはずない。認知症だから、許される?のかな。正しい判断ができないから罪には問えない、と言ってしまったら何でもありやん。どうにもならず、その刃が一緒に暮らす爺様婆様方に向いたら私たちは命掛けて守るんだけど。それでも精神安定剤に頼りたくない家族もいるし、だから施設を選んだのに!ってご家族もいる。
ある婆様・・気分の移り変わりが激しくて、すぐ殴りかかり、飛び蹴りし、エレベーターをこじ開け、大声で叫び、トイレドアを壊して、壁紙破り、カーテンを引き裂いた。毎日職員は、疲弊していた。同会の皆さんを守りながらこれは闘いだなって思った。ケアマネージャーの由香はご家族に丁寧に細やかに包み隠さずその話をした。共有したかったし、理解して欲しかった。一緒に考えたかったからだ。そしたら、ご家族はね・・・・。
「しかたないね、我慢してもらわんとね」と柔かに笑った。あの言葉と笑顔を一生忘れない、とこの話をする度 由香は険しい顔になる。我慢するの?殴られても引っ掻かれても私たちは、その抱き上げた手を離すことはない。離したら転けるでしょ?離したら怪我するでしょ?だからどんなに噛みつかれていても離したりしない・・のだけど。ちがうのよ、謝ってほしいとかそういう話じゃない。「介護士に我慢してもらわんとねぇ」に続く言葉は何なんだろう。
お薬を口まで運んだその指を強く噛まれ、化膿し今も指に感覚がない職員や、狭いトイレの中でズボンをはかせていて蹴り上げられ鼻血が止まらないのに蹴り続けられた職員や、嚙み痕や髪の毛をむしられたハゲ痕、この心の痛みはどこに落としどころを作るかと言うと・・ご家族なんだと思ってる。ご家族と一緒に考えて一緒にご本人にも私たちにも一緒に暮らす隣人にも一番添う方法を選ぶことが出来たら、それを一緒に出来たら、心の痛みは和らいだかもしれない。「認知症だから仕方がない」と話を切られる場合と「そんな人じゃない」と信じてもらえない場合、耐えられない自分は去るしかない。辛さと怒りでこの仕事を辞めちゃった人は少なくないから。介護職を守る手立ては、ご家族との信頼関係。一緒に、一緒に、どんなことも一緒に笑って泣いて悩んで怒って幸せ感じて日々を共有できたら、介護職に希望を持つ人も増えるんじゃないかって思ったりね。
「我慢してもらって・・」って家族ばかりじゃない。そんなことは分かってる。「私は、母に会いに来てるんじゃないんです。皆さんのお顔見に来てます。私にできない事をがんばってくださっている皆さんに感謝を込めて皆さんに会いに。」と言ってくれた。みんな救われた。「施設の皆さんの一番いいという方法でお願いします」とお医者さんに言ってくれる方や「ここに来てなかったらどうなってたかって思う。みなさんのおかげ。」って何年たっても行事に来てくださる家族さんも。いっぱいいるの・・皆に支えていただいているの・・ご家族のエールがとにかくうれしい・・。
じいちゃんばあちゃんに手をあげたり、汚い言葉を吐いたり、意地悪な事を平気でするような日常に慣れたり・・そんな精神状態になる前に職員を助けたいと思う。爺様や婆様にだけ優しいなんて人はいない。優しい人は一緒に働く隣にいるあなたにも優しいし、思い悩んでいるご家族にも、優しい気持ちを持っている。その優しい気持ちが永遠でありますように、私にできることは「とことん話し合うこと」「今すべきことは今すること」「できない事はできないということ」「したくないことは断ること」「不穏を見逃さないこと」。そして「職員を信じ絶対に裏切らないこと」利用者も職員も同じに守る力を持ちたい。