道標

めいの家には16人のお隣さんが暮らしている。
長い人はもう十年を超える。短い人は数か月。
みんな仲良くやってるように見えるが、さすがにに肝に据えかねることもあるようで日々もめ事が勃発する。話し声と笑い声がうるさいからテレビの音が聞こえない!くらいのしょうもないことから、入れ歯をどこに置いたかわからん、あんた取ったでしょ‼!なんていう強盗事件までいろいろある。

人は老いる。ついこの前まで派手に喧嘩してたやん‥って人が、何も食べなくなって誰とも話さなくなって、あれよあれよという超高速スピードで老いる。もう強盗事件もテレビ音量モメも起こらなくなる。寂しいほど静かになる。

ここに越してきてお友達ができる。毎日「あんたんとこのお兄ちゃん元気か?」「元気やでぇ、禿げてるけどぉ‥」という絶妙に笑える挨拶から一日が始まっていた二人がなんとなく気付けば「おはよう」って言わなくなって…ん? ってね思ってるうちにもう話さなくなっていって、仲良しさんじゃなくなっちゃって。それにはね、それはそれはグループホームの、認知症の婆様方の”あるある”があるんですな。同じくらいの認知度で、忘れっぽさで 歩けたり、食べられたり、トイレ行けたり、美味しいねって言いあえたり、誰かの悪口言っちゃったりね、すぐに忘れたとしても相手の言うことわかってキャッチして投げ返すことができた二人のうちどちらかそれができなくなった時にその関係が変わるのね。一緒に同じように老いてはいけない。みんなマイペース。先行く方も置いて行かれる方も仲良くしていたあの日を覚えてはいない。

その時が私たちの出番だ。中に割って入る。話を仲介させていただく。「息子さんいるのよ、お二人一緒やね」とか「息子のこと禿げてるとかいうのやめたげて」とか、「息子さんたちはお母さん想いの優しい人やね」とかね。そしたら「あんた何で知ってんの?」から大体盛り上がる。母にとって息子の話ほどの好物はない。大体の母は息子がおっさんになっていても禿げていても 目の中に入れても絶対に痛くないくらい愛でている。だから出番が来たら私が知っているその人の全ての情報を駆使して友達になる。三人の仲良しが誕生する。

‥‥これを見て見ぬふり?日頃の”業務”にかまけて知らん顔してたら、話しかけないでいたら。ほっといたら、二人はもう他人になり、隣に座っても知らん顔になる。そして喋らんようになったら咀嚼や嚥下機能が落ちて食べられんようになっていく。相手の相槌がおかしかろうと理解できてないとかどうせ‥なんて絶対に思わずとにかく話す。とにかく喋り殺すつもりで向かっていく。話すこと思いつかんかったら昨日何食べたとか、昨日見たテレビの感想でもいい。自分の好きな芸能人の話だっていい。おしゃべりは大事な大事な仕事だから、おざなりにしたら絶対にいけない。お風呂今日入らんでも死にゃせん!とかよく言うけどさ、話さないと死ぬ。心も身体もね。動けなくなってもいいけどさ、なんとかするやん!心が死なないように、私らはそばにいるだけじゃなく そばにいて抱きしめて話し続ける事が大事。興味をもって相手に接することができないとわたしらの仕事はただの3k?4k?汚いものを始末するだけの仕事になる。でしょ?

それでも人は老いる。しかたない。わたしもあなたもみんなね。この老いを笑って生きられるかどうかは私の出番にかかっているんだ。

介護士の皆さん、向かう道には あなたの笑顔と楽しい話。今日も一日面白い話いっぱいしようね。


寝起き!爆発‼‼‼笑って。ね。

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