伝心❼
ここにもまた可愛い一人の婆様がいる。
お見合いで結婚し一人息子を産んだ。一人息子を可愛がって目の中に入れても痛くないと大切に大切に育てた。まぁ、親はみんなそうだけどね。で、そんで、大きくなって希望する技術職に就いた息子は夫婦の希望だったし自慢だった。何をしても腹なんか立たないし、この子が間違ったことなんかするはずない!って信じて疑わなかった。息子は人づきあいが苦手でだんだんと職場の人と距離を取るようになり、一人ぼっちになり大好きだった仕事を辞めた。頭のいい子だったから塾の先生をしたり、事務職に就いたり転々としながらだが それを理解してくれるやさしい彼女と結婚した。ある日、塾の先生に誘われて初めてパチンコに行った。30歳を越えてこんなワクワクすること‼‼に出会っちゃった。そして競馬に競輪にボートに麻雀に…賭け事三昧の日々が始まった。歳を取って女遊びにハマったら大変よ~って近所のおばちゃん言ってたけど賭け事も同じよ~‼‼‼もともと頭のいい子なんでデータを取ったり計算したり考え抜いて賭け事が生活の一部?全部になっちゃった。人と生きるのが苦手な息子を理解してくれていた奥さんも子供を連れて愛想つかして出て行った。一人になって精神状態は悪化した。でもばあさまはそれでも大切にした。可愛がっていう事を聞いて言われるままにお金を渡して自由にさせた。心に病を持ったまま息子はギャンブルに明け暮れた。年金支給日には必ず実家に来て婆様のキャッシュカードを持っていく。パチンコ屋さんが閉まるころ帰って来て二人はお寿司を注文する。電気もガスも止められた家に伺った時に私の背の高さほどにいろんなお寿司屋さんのすし桶が積みあがっていた。すし桶返してないのなんで❓❓❓冷蔵庫は電気が切れて中身は墨絵のように真っ黒に腐っていた。そこに、真っ赤な口紅を塗った婆様がきれいな青空色のカーディガンを着て座っていた。満面の笑顔で‥‥。
緊急保護。私たちは息子に行先を告げず保護し、婆様の年金や財産を守ろうとした。そこからお寿司屋さん、ガス屋さん、電気屋さん、団地の管理組合、あらゆるところに一緒に謝りに行った。だって全部踏み倒してたんだもん。何も払わずに息子に貢いでたんだもん。そこから十年、息子が重い病気で亡くなってからやっと婆様は自由になった。逃げも隠れもしなくていい自分のことだけ考えていい心の自由を手に入れた。コロコロとよく笑い、みんなに愛されているかわいい人だ。だが、息子の育て方を間違えたとも、息子は心の病だったとも思っていない。一切思ってない。息子は上出来‼‼‼らしいわ。今となってはそれでいい。いやそれがいい。それもこれももう忘れて婆様は今うたた寝している。息子の後始末にあちこち連れまわして詫び、頭を下げさせた私を「鬼婆」と呼ぶこともなくなった、私が誰かももうわからん。泣きまねして謝ってドアを出たら「これでええか?」とやんちゃに笑った婆様はもういない。今はもう何事もなかったようにコロコロ笑って居眠りしている。それでいい。それがいい。