六話 素晴らしきかなこの人生は、私のおかげです。

大腿部頸部骨折でリハビリ中とのことで、入院先の病院に面会に行ってほしいと言われた。あら???部屋にいない。ん??どこ??看護師さんたちがものすごく作り笑顔で探し回っている。逃走しちゃったんか、会いたかったなぁ・・又にしますか。と帰ろうとエレベーターのボタンを押した。やって来たエレベーターのドアが空いたら紫色の眼鏡をかけ石油王みたいな帽子を被ったえらくきつい目つきの婆様と遭遇した。ナースステーションから看護師さんたちの声がこだまする「どこ行ってたんですか!」「またそんな勝手にエレベーター乗って!」「今日何回目だと思ってんですか!」。
今日だけでもう5回以上逃走して連れ戻されているらしかった。この婆様は逃走の名手の様だ。めいの家はセキュリティが甘い。外からの侵入者には防犯カメラやセキュリティ契約はしているが中にいる人を止める手立てが皆無だ。出て行きたい放題だから。どうしよっかなぁ・・。怖そうだしなぁ。

男の子が一人いるご主人の下へ嫁いだ彼女は、男の子を一人産み二人の男の子を育てながら懸命に働いた。建築のお仕事をしているご主人は雨が降ったら休み、のほほんとしていた人の様だ。彼女は「全部私が一人で頑張った結果」だと言いご主人を罵った。皆にそれを言いふらし、でも言いふらしている通りよく働き、二人の腹違いの息子を分け隔てなく育てた。ご主人の亡き後、息子たちも一人立ちし認知症になっていた。息子たちは40歳を超えているのに、毎日小学生の息子が帰ってくるのを待ち、お寿司を三人前出前してもらい、高価なツボやテレビをセールスの人に言われるままに購入した。夕方になると家の前で息子たちを待ち帰ってこないと近所に聞き回る。ご近所さんも疲れ果てた。そんな時大腿部頸部骨折し入院、手術した途端逃走を開始したよう。一時たりともじっとしていない・・そんな性格でずっとずっと働いてきたもんだから動いていないと落ち着かない。性根据えて、めいの家にお迎えした。「今日からしばらくここでお仕事です。食事のお世話をお願いします。住み込みです」とお伝えし納得していただいた。が!が!夕方になると「お先に失礼いたします」とエレベーターをこじ開ける日々。毎日付いて歩いてくたびれるのを待つ。職員が先にヘトヘトニなる日々。走っている車を止めて、窓ガラスをたたき「送ってちょうだい」と乗り込もうとしたり、コンビニの方に「交番はどこか」と尋ね教えてもらうけどすぐ忘れちゃって人の家に入って枝を折り杖代わりにして山を越えて進んでいく。付いて歩く職員は毎日筋トレ並みに疲れ果てた。いつまで続く??このトレーニング散歩!!ある日、腕に沢山の自分のズボンを抱えてリビングに現れた。そっと皆さんの耳元で「500円でいいわ」「ほんとは高価なものだけどこれ500円。買いなさい」と言う。何してるの?と聞くと皆さんがどうしても買いたい。それが欲しいというので仕方なく」とニヤッと笑い「早く私の気が変わらないうちに500円持ってきたほうが良いわね」と威圧する。うわぁ!!恐喝!!すごい人が来たなぁ。。って職員絶句。またある日。二話で登場したしげちゃんが夜 大荷物{尿取りパットやティッシュやハサミや着替えがいっぱい入ってる}を持ってトイレに行くのを見て「あの人見てみ。変な歩き方やなぁ。気持ち悪いわ、汚い恰好、貧乏人。働いてないねんな、そらあかんわ。働かん奴はあんな末路 しゃあない。あー恥ずかし。一緒におるの嫌やわあ。うつるうつる」と何度もいい笑った。高笑いしたんだ。もう本気で腹が立った。その日夜勤の私は窓を全開にしていることも忘れ大声で怒鳴った。人のことを非難し蔑み弱い者いじめし笑いながらいたぶる態度が本当に許せなかった。「認知症だから」と言葉を選んで説明することもあり、忘れてしまうから何度でも何度でも同じ話をする、毎日する。でも聞いたよとは言わないし、何度目だよなんて言ったって解決する話じゃないから何千回だって付き合う。けど、人を貶めていいという話じゃない。どんな病だって忘れたって言ってはいけない事は、絶対にある。許してはいけない。傷つく人がいるのに庇うだけではいけない。遠くの山にこだまするほど大きな声で怒った私は、今も後悔していない。感情的になってはいけないのかもしれないけど完全に切れてしまって手を付けられない状態になった私は、彼女に食って掛かっていた。人を傷つけて平気で笑っているあんたの方がよっぽどクズだと言った。夜中の2時、彼女はリビングにやって来た。派手な赤いバラのテレテレのブラウスと金色のスパッツをもってやって来た。「差し上げます。すみませんです。これで許していただいて」と派手派手なお洋服を差し出した。「似合いましょうぞ」といつの時代か分からない言葉を残し去って行った。私が怒鳴ってから3時間。彼女はずっと起きて考えていたのだろうか。私の怒りを辛く受け取っていたのだろうか。寝ているふりをして悩んでいたのだろうか?なんかさ、うれしい。うれしいよ。   それ以来 私の前ではしげちゃんの悪口は言わなくなった。覚えているのだろうか?ね。今食べた事も忘れちゃうのに、今行ったトイレも行ってないっていうのにさ。私と喧嘩したことは覚えてた。「大きな声で鬼みたいに怖い顔。またこんなん言うたら怒るんやないのねえ」と苦笑いしてさ。だから、諦めちゃいけない。どうせ、なんて思っちゃいけない。覚えてないから言わないなんて思わないで誠心誠意本気出してぶつかったら楽しい事がいっぱい待ってるんだ。驚くような奇跡が起こることも少なくない。その、奇跡がたまんない!小さな奇跡の積み重ねが私たち介護士を明日に連れてってくれる。明日もまた、ってワクワクする。

 話戻ろう・・彼女の名はテルさん。それからも逃走劇は続いたが、歳と共に足も弱って車いす生活になって、ニコニコ可愛く微笑むテルさんは入居されている方々に優しくしてもらい、職員にも愛された。逃走劇を知る私たちはやっと腰を下ろした感じで愛され微笑むテルさんを苦笑いで眺めていた。最後の時を分け隔てなく育てた二人の息子と過ごし、笑っているように見えた。「私のおかげで我が家は安泰ですから!!」声高らかに自分を褒めるテルさんは本当に頑張った奥さんでお母さんだった。あなたのやんちゃな日々を忘れません。まだまだそっちの世界で忙しくしていてください。また会いましょう、テルさん。